熊本ーーみんな大好きくまモンの本拠地 Kumamoto
目次ーーIndex
熊本城ーーCastle
阿蘇を周った後は熊本市に戻り熊本のNo.1観光
スポットにして復興のシンボルーーーー熊本城に向かいます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03718.jpg)
雨の日の城攻めもオツかなと思い、2016年熊本地震
により被災した熊本城を復興見学ルートを周ってきました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03722.jpg)
◆Pick up◆
熊本城 別名:銀杏城
築造年:1469年(応仁3)
1600年(慶長5)天守完成
築造主:出田秀信 → 加藤清正 → 細川氏
構造:城郭ー梯郭式平山城
天守(非現存)ーー連結式望楼型3重6階地下1階
◯日本三大名城
◯13棟ーー国の重要文化財
城跡ーー国の特別史跡
◯廃城年ーー1874年
Column
「日本三大名城(日本三名城)」
国宝になっている松本城や彦根城現存天守も
12城もあるため、選出は非常に難しい。
三名城と定義するには城郭や設計者など時代背
景により様々で諸説あるため、代表的な名城を
挙げます。
◆【熊本城】(熊本県熊本市中央区)
1469年築城。加藤清正が改築した平山城。西南戦争の戦場。
◆【姫路城】(兵庫県姫路市)
1346年築城。天守や櫓等の主要建築物が現存。世界遺産に登録。
◆【大阪城】(大阪府大阪市中央区)
1583年築城。江戸時代に修繕された大阪の中心。
◆【名古屋城】(愛知県名古屋市中区)
1609年築城。金鯱城、金城の異名を持つ天下普請の城。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03750-0c3df.jpg)
行幸橋のたもとには加藤清正公の銅像が鎮座しています。
熊本を統治していた時期は短いですが、治水事業
や土木技術に優れ、領内の農業行政に意欲的に
取り組んだため、民衆に清正公さん(せいしょこ
さん)と呼ばれて親しまれています。
なんとなくわかるーー加藤清正
秀吉の子飼いから賤ケ岳七本鎗に数えられ
一大名に出世した肥後の虎
1562年(永禄5)刀鍛冶・加藤清忠の子として
尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)に生まれる。
ーー妙行寺で勉学に励む
⇩
1573年(天正元年)秀吉の生母である大政所と母
が従姉妹であったことから、秀吉に小姓として
仕える。
ーー秀吉の正室・おねから将来を期待され、福
島正紀、黒田長政らと交流を深める
ーー近江長浜城主になった秀吉から170石を与
えられた
⇩
1581年の鳥取城の戦い、備中・冠山城の戦い
にて功績を挙げる。
⇩
1582年(天正10)本能寺の変が起こると、秀吉
に従い中国大返し、山崎の戦いに参加。翌年の
賤ヶ岳の戦いでは敵将を討ち取り武功を挙げ
る。
ーー秀吉より「賤ヶ岳の七本槍」の一人と称さ
れ3,000石の所領を与えられた
ーー加藤清正、福島正則、加藤嘉明、平野長泰
脇坂安治糟屋武則、片桐且元の7人を
賤ヶ岳の七本槍と称する。
⇩
長久手の戦い、四国征伐、秀吉の九州平定、小
田原城攻めに従い、肥後国領主となった佐々
成政が改易されるとこれに替わって肥後北半国
19万5,000石を与えられ大名となり大出世する。
ーー1591年(天正19)頃より改修し熊本城を
完成させる。
ーー肥後半国か讃岐国を選び、唐入りの先鋒と
して肥後を選んだといわれる
⇩
1592年(文禄元年)朝鮮出兵
二番隊主将となり北上し朝鮮軍を破り連戦連勝
するが、秀吉逝去により戦いは終結。
ーー虎退治したという逸話が伝承される
ーーセロリを日本に持ち込んだことで異名の
ひとつが「清正人参」である
⇩
石田三成への不信感から福島正紀らと暗殺未遂
を起こすが失敗。
1600年(慶長5)関ケ原の戦いでは黒田如水と
ともに九州で西軍勢力を次々に破る。
ーー戦後の論功行賞で小西旧領の肥後南半を与
えられ、52万石の大名となる
⇩
1610年(慶長15)徳川家による名古屋城の普請
に協力。1611年(慶長16)二条城における家康
と豊臣秀頼との会見を取り持つ。
ーー名古屋城の天守は清正が築城した
ーー豊臣家の家格を高いまま残したいという
思惑があった
⇩
帰国途中の船内で高熱を発し、同年6月24日
熊本で死去。享年50
ーー徳川方による毒殺説ともいわれる
ーー1632年(寛永9)加藤家は改易され、肥後
隈本藩に細川氏が入国する
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03638.jpg)
”銀杏城”の名は籠城戦に備えて城内に銀杏の木を植
えたことに由来します。
朝鮮出兵で食料不足に苦しんだ経験を生かして加藤
清正が植えたと言われていますが、銀杏の大木は
雄木のため実はならず、後世作られた俗説と考えられます。
また、籠城時の食料の確保のため城内の建物の土壁
に干瓢(かんぴょう)を塗篭め畳床には食用になる
里芋茎を用いて備えたといいます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03637.jpg)
井戸を120箇所も掘り、籠城戦の水不足に備えていました。
現在は立ち入ることはできませんが、本丸御殿の中
には「昭君之間(しょうくんのま)」と呼ばれる一番
格式の高い部屋がありました。
この部屋は藩主の居間として使われていましたが
一説によると、豊臣秀吉の遺児、秀頼を熊本城
に迎え入れるためといわれています。
ーーしょうくん⇔しょうぐん(将軍)の隠語とする説が
あります
秀吉から受けた御恩を忘れずに忠義を尽くした実に
清正らしいエピソードです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03630.jpg)
ー北十八間櫓(国指定重要文化財)ー
高さ20mの石垣に建つ全長約40mの一階建ての櫓。
熊本地震によって櫓と土台の石垣が崩落しました。
崩落した部材や石材は修復に備え、整理・保管しています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03631.jpg)
ー平櫓・不開門(国指定重要文化財)ー
天守の北東に防御機能を備える一階建ての櫓。
石垣の東脇を通る坂道は熊本城で唯一現存する櫓門
で、平時は開けなかったと伝えられ不開門(あかず
のもん)といわれています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03642-e19a8.jpg)
ー戌亥櫓ー
西出丸の北西角にある木造二重三階櫓。
方角を動物で表すことがあり、北西を指す戌亥
(いぬい)の名が付いています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03701-47ee0.jpg)
櫓の崩壊を過度の石垣で支え、一本足で支えている
ように見えることから当時の建築技術の高さが伺えます。
今しか見れない復興中の様子は貴重のため天守閣
に入れなくても逆にチャンスと思ってシャッター
チャンスを狙いましょう!
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03693-0b9a0.jpg)
ー未申櫓ー
西出丸の南西角にある三階櫓。江戸時代には
奉行丸とも呼ばれ南西を指す”未申(ひつじさる)”
の名が付いています。
平成15年に木造で復元されましたが、熊本地震に
より石垣や塀などが崩れました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03680-258c6.jpg)
石垣は熊本城の特徴のひとつ”武者返し”と呼ばれ
ています。下はゆるやかに見えますが、上に向え
ば向かうほど反りが強くなっています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03721.jpg)
ー西大手門櫓・元太鼓櫓(国指定重要文化財)ー
西出丸に3つの大手門を設置し、城の玄関にあたる
西大手櫓門は最大規模かつ最も格式高い門です。
平成15年に元太鼓櫓と同時期に復原されたものです
が、熊本地震によって石垣が崩壊し、櫓が傾きました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03696-8de7b.jpg)
ー大小天守ー
正面右側の大天守は1600年(慶長5)に加藤清正に
よって築かれました。正面中央は1877年(明治10)
の西南戦争直前に焼失し、1960年(昭和35)に鉄筋
コンクリート造で再建されました。
白漆喰と黒い下見板のコントラスト。
大天守最上階の出窓には”唐破風”が設けられ、下階
には”千鳥破風”が施され力強く美しい装飾です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03668.jpg)
ー宇土櫓(国指定重要文化財)ー
大天守、小天守に続き、”三の天守”と呼ばれる
江戸時代から残存する重要文化財の宇土櫓です。
地上五階地下一階、高さ約19m。西南戦争時に大小
天守は炎上しましたが、大天守に次ぐ大きさの宇土
櫓は焼けずに残りました。
熊本地震では壁漆喰や床などが破損し、土台石垣も
損傷しました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03648.jpg)
ー美術館・細川コレクションー
バケツをひっくり返したかのような土砂降り
に変わり、雨宿りと見学を目的に入ってみます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03649.jpg)
細川家ゆかりの名品を常時展示したスペース。
訪れたときは細川ガラシャをテーマにした
展示をしていました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03655.jpg)
細川忠興の正室で明智光秀の娘、ガラシャの洗礼名
で知られています。ガラシャ関係の絵画や直筆の文
忠興の愛刀「歌仙兼定」が見られます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03672-5adea.jpg)
ー加藤神社ー
熊本の礎を築いた清正公を祀る神社。
勇猛果敢な性格と学問や文化に秀でた国づくりの
政策を行った偉業から特に勝負運の御利益にあや
かりたいという参拝者は年々増加しています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03679.jpg)
境内にある大きな樹は大天守前の銀杏の樹と共に
清正公がお手植えされたものと伝えられています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03674.jpg)
境内内からは熊本城の天守閣が望めます。
ーートランスフォーマーしそうでカッコいい!
有事の際には変形してくれないかな…
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03695.jpg)
ー二の丸駐車場ー
二の丸は駐車場として活用されています。
桜の馬場からも二の丸広場からもアクセスが容易で
観光バスが多く停まります。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03626-81269.jpg)
ー剣聖宮本武蔵旧居跡ー
六工橋の近くに居を構えていた跡に標柱が立てられています。
剣豪宮本武蔵は1640(寛永17)、57歳のとき
藩主細川忠利に食客として招かれ、城内の千葉城で
晩年を過ごしていました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03644.jpg)
熊本城は西南戦争の際の戦火や平成28年の熊本地震
によって被災しました。それにより多くの建造物や
文化財が被災し現在も復旧工事は終わっていません。
特別史跡熊本城跡の石垣の一つ一つは貴重な文化財
です。
基本的な石垣復旧の手順としてはーー
崩落状況の記録 ⇨ 石材の番号付け ⇨ 石材の回収
⇨ 石材置き場に仮置き
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03642-e19a8.jpg)
記録し、復旧工事に備えることで崩落の原因
を調査すると同時に将来の崩壊予防に役立てる目的もあります。
熊本の象徴として多くの人から愛される日本一とも
称される熊本城。現在も復旧工事が続いています。
復興までにはまだまだ長い年月がかかると予想
されていますが一日でも早く元の威風堂々とした
姿を見せて欲しいですねーー
住所:熊本県熊本市中央区本丸1-1
TELL:096-352-5900
入城時間:年中無休
定休日:なし
入城料:無料(入城不可)
桜の馬場 城彩苑ーーSpot
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03753.jpg)
熊本城に隣接し、城下町を模したお土産屋や飲食店
が建ち並ぶ観光施設です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03745.jpg)
「熊本城わくわくミュージアム」
入館料¥300。熊本の歴史や文化を学べる
エンターテインメント型の体験施設。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03739.jpg)
1階は熊本城のジオラマや資料が展示されていて
クイズなど色々な体験型のゲームが楽しめます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03735.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03736.jpg)
プロジェクションマッピングを用いた熊本地震前と
後の様子がわかりやすく、復旧情報を知ることができます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03765.jpg)
2階では「VR熊本城」を上映しています。
震災前でも立ち入れなかった場所の様子もCGで見れます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03756.jpg)
おもてなし武将隊。加藤清正、細川忠興など九州
の名だたる武将に扮し、時間帯により演武を披露
してくれます。
激しく動いているときは写真がブレブレになります
が、最後にシャッターチャンスを作ってくれるので
そのときに写真を撮りましょう。
”香梅庵”の「陣太鼓ソフト」¥432
北海道産大納言あずきを使ったあんこにミルクソフ
トをミックスした和スイーツです。
熊本の銘菓、陣太鼓が中に入っていて求肥が練り込
まれモチモチの食感で甘さもちょうどよいです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03757.jpg)
城彩苑には他にも個性派でおもしろいソフト
クリームが多く、ソフトクリームの宝庫に
なっています。
ぜひ色々と食べてみてくださいーー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03761-85686.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03764.jpg)
「馬肉メンチカツ」¥250
揚げたてで馬肉がぎゅっと詰まっていて肉肉しい
味わいです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03759.jpg)
熊本城は天守や城郭の復興の様子だけでなく
桜の馬場城彩苑も合わせて周り、熊本の名物や
美味しいものショッピングも楽しむことを
オススメします。
住所: 熊本市中央区二の丸1番1
TELL:096-288-5600
営業時間:月~金 9時00分~19時00分
土・日 9時00分~20時00分
定休日:なし
入場料:無料
総括ーーSummary
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03741.jpg)
加藤清正は城内の銀杏の大木を指し
「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時
にこの城で兵乱が起こるだろう。」
とつぶやいたという言い伝えがあります。
それから時が過ぎ明治時代、銀杏の木は天守とほぼ
同じ高さになりました。明治10年に西南戦争が起
こり、熊本城と城下が戦場となりました。
西南戦争の際、官軍の守る熊本城を攻め落とすこと
ができなかった西郷隆盛は「おいどんは官軍に負け
たとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と
言ったと伝わっています。
(次回)ーー小さな漁村の集落が世界遺産に!?