天草ーー旅人を詩人にする日本の宝島 Amakusa
崎津天主堂ーーCathedral
熊本市から2時間30分以上ドライブして天草市
のさらに遠く、崎津集落に向かいます。
その間、コンビニは少なく、お店もまばらですが
晴れた日の海沿いのドライブはとても気持ちが良いです。
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町中には駐車場が少なく、道も狭いため少し遠い
ですが駐車場の広い道の駅のようなガイダンス
センターに停めて歩くことをおススメします。
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こじんまりとした歴史のある路地は昔の漁村の
雰囲気を残しています。
その中にひときわ目立つ十字架を掲げたゴシック
様式の建物は町並みに溶け込んでいます。
漁港に佇んでいることから「海の天主堂」
と呼ばれています。
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◆Pick up◆
崎津天主堂
築造年:1934年(昭和9)
建築家:鉄川与助
構造:ゴシック様式
◯1883年(明治16)に最初の教会が建つ
現在の教会はハルブ司祭が改築
◯2018年7月ーー世界文化遺産登録
入館は無料で誰でも気軽に訪れることが可能ですが
教会堂見学は事前連絡が必要です。
ーー堂内は撮影禁止になっています
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信徒発見の手法である踏絵が行われた吉田庄屋役
宅跡に現在の祭壇が配置されました。
内部は木造になっており国内でも数少ない畳敷き
になっています。ステンドグラスがキラキラと
輝き、畳に反射して綺麗です。
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教会を横側から見ると灰色の部分と白色の部分で
分けられています。正面尖塔部分は鉄筋コンクリ
ート、白の部分は木造で作られています。
建設費用の予算により全体を鉄筋コンクリート造
にすることは叶いませんでしたがこれはこれで
趣を感じます。
崎津集落ーーVillage
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ー崎津資料館みなと屋ー
「天草の﨑津集落」の地域の歴史を紹介する
﨑津資料館。休憩スペースとして開放され当時の
生活の様子をパネルや展示で紹介しています。
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昭和11年に建てられたみなと屋。元旅館だった
ようで2階の窓から崎津教会を眺めることができます。
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教会を中心とした町並みの模型。
貝殻など身近なものを代用した布教・潜伏期の独自
の信仰形態を生み出した信心具が展示されています。
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ー勝海舟宿泊所ー
1857年(安政2)天草に来航した勝海舟は練習艦
「観光丸」の艦長として崎津に寄港しました。
その時に宿泊所に利用した現在の崎津教会前にある
吉田庄屋宅があった場所です。
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家屋と家屋の間には幅の狭い通路があり海まで続い
ています。「トーヤ」といいここから船にそのまま
乗船できる通路で国の重要文化的景観に選定されています。
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海上に柱を立てた漁師の作業場「カケ」
土地が狭いため船の乗り降り等に利用されています。
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ー崎津諏訪神社ー
潜伏キリシタンはカムフラージュとして仏教徒を
装い、﨑津諏訪神社へお参りするなどして信仰を
守り続けていきました。
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神社からは教会と町並みが見渡せます。
社に潜伏キリシタンが参拝する際には
「あんめんりゆす(アーメンデウス)」と拝んでいた
という記録が残っています。
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ー教会の見えるチャペルの鐘展望公園ー
諏訪神社から500段もある石段を登った先に
金毘羅宮と展望公園があります。
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![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03846.jpg)
東シナ海や羊角湾を一望できます。
教会を含む入り江にある崎津集落が風景画のように
素晴らしいです。
上からの眺めは絶景なので諏訪神社で引き返さずに
ぜひ展望公園まで足を運びましょう。
ーー苦労が報われます!
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海側から見える断崖絶壁の”マリア像”
夕陽に照らされるとより一層美しく映えます。
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海上から正面で拝みたいところですが陸路からは
行けないため漁協からズームして撮影しました。
大江天主堂ーーCathedral
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/05/DSC03879.jpg)
崎津集落より北側、下田温泉との中間に位置する
「かくれキリシタン」がひそかに信仰を続けてきた大江集落。
明治に入り、禁令の高礼が撤去された後に
フランス人”ガルニエ神父”は明治25年にこの地を
訪れ、昭和16年82歳で亡くなるまで布教に務めました。
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村人からは「パアテルさん」と呼ばれ慕われて
いました。
現在の天主堂は神父が私財を投じて信徒が協力し
1933年(昭和8)に完成させたものです。
紀行文ーー「五足の靴」では富岡から大江まで
32km歩きガルニエ神父を訪ねる物語があります。
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森に囲まれ、奥地で人知れず集まって祈りを捧げて
いたロマネスク様式の白亜の木造建築は綺麗であり
とても神聖的です。
惜しくも世界遺産には登録されていませんが静寂で
厳かな歴史的価値を感じます。
ーー教会内部は撮影禁止です
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高台にある教会を背に周りの景色や夕日が望め
ロケーションが素晴らしいです。
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ー天草ロザリオ館ー
高台の下の大きな駐車場にある天草キリシタンたち
の生活や文化を物語る遺品が多く展示している資料館です。
開館時間が過ぎていたため、入館は叶いません
でした。天草の貴重な歴史を学べる場所なので
訪れたかった場所です(泣)
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
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聖地巡礼で歩き疲れた後は温泉にゆっくり浸かり
くつろぎたいものです。
五足の靴の著者たちも寄り、昼食休憩をとった
下田温泉は熊本の中でも国民保養温泉地に指定
されています。指定地は3箇所あり、下田はその
内のひとつとして指定されています。
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当然ながら宿を予約していないため無料の足湯を
利用しました。
温度が高く、柔らかなお湯が特徴です。
足湯にしては湯舟が大きいため、誰もいないとき
は温泉のように体全体を浸かれちゃいそうです(笑)
総括ーーSummary
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島原・天草の乱の際、島原にほど近かった上天草
のキリシタンは一揆に加わりました。
下天草地方のキリシタンは情報が伝わらなかった
ため一揆に加わらず、今でこそ国道が通っています
が当時海路でしか行くことができなかった﨑津集落
に集まり潜伏することになりました。
1872年(明治5)禁教令が廃止されると神父は240年
ぶりに崎津に帰ってきて教会で祈りを捧げました。
教会は明治以来3度建て直しされ、現在のゴシック
建築様式の堂内では信者の家として毎日祈りが捧げ
られています。
(次回)ーーキリシタン大名同士の戦場の舞台