【熊本城】in熊本5ーー今しか見れない復興のシンボルの姿と熊本の魅力を詰め込んだおもてなし城下町

熊本ーーKumamoto
熊本ーーみんな大好きくまモンの本拠地 Kumamoto
阿蘇を周った後は熊本市に戻り熊本のNo.1観光
スポットにして復興のシンボルーーーー熊本城に向かいます。
 
雨の日の城攻めもオツかなと思い、2016年熊本地震
により被災した熊本城を復興見学ルートを周ってきました。
 
◆Pick up◆

熊本城 別名:銀杏城

築造年:1469年(応仁3)
    1600年(慶長5)天守完成

築造主:出田秀信 → 加藤清正 → 細川氏
構造:城郭ー梯郭式平山城
   天守(非現存)ーー連結式望楼型3重6階地下1階 

日本三大名城

◯13棟ーー国の重要文化財
 城跡ーー国の特別史跡

◯廃城年ーー1874年

Column

日本三大名城(日本三名城)
国宝になっている松本城や彦根城現存天守も
12城もあるため、選出は非常に難しい。
三名城と定義するには城郭や設計者など時代背
景により様々で諸説あるため、代表的な名城を
挙げます。

熊本城】(熊本県熊本市中央区)
1469年築城。加藤清正が改築した平山城。西南戦争の戦場。

【姫路城】(兵庫県姫路市)
1346年築城。天守や櫓等の主要建築物が現存。世界遺産に登録。

大阪城】(大阪府大阪市中央区)
1583年築城。江戸時代に修繕された大阪の中心。

名古屋城】(愛知県名古屋市中区)
1609年築城。金鯱城、金城の異名を持つ天下普請の城。

 
行幸橋のたもとには加藤清正公の銅像が鎮座しています。
熊本を統治していた時期は短いですが、治水事業
や土木技術に優れ、領内の農業行政に意欲的に
取り組んだため、民衆に清正公さん(せいしょこ
さん)と呼ばれて親しまれています。
 
なんとなくわかるーー加藤清正

秀吉の子飼いから賤ケ岳七本鎗に数えられ
一大名に出世した肥後の虎
 
1562年(永禄5)刀鍛冶・加藤清忠の子として
尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)に生まれる。
ーー妙行寺で勉学に励む
         ⇩
1573年(天正元年)秀吉の生母である大政所と母
が従姉妹であったことから、秀吉に小姓として
仕える。
ーー秀吉の正室・おねから将来を期待され、福
  島正紀、黒田長政らと交流を深める    
ーー近江長浜城主になった秀吉から170石を与
  えられた
         ⇩
1581年の鳥取城の戦い、備中・冠山城の戦い
にて功績を挙げる。
         ⇩
1582年(天正10)本能寺の変が起こると、秀吉
に従い中国大返し、山崎の戦いに参加。翌年の
賤ヶ岳の戦いでは敵将を討ち取り武功を挙げ
る。
ーー秀吉より「賤ヶ岳の七本槍」の一人と称さ
  れ3,000石の所領を与えられた
ーー加藤清正、福島正則、加藤嘉明、平野長泰
  脇坂安治糟屋武則、片桐且元の7人を
  賤ヶ岳の七本槍と称する。 
         ⇩
長久手の戦い、四国征伐、秀吉の九州平定、小
田原城攻めに従い、肥後国領主となった佐々
成政が改易されるとこれに替わって肥後北半国
19万5,000石を与えられ大名となり大出世する。
ーー1591年(天正19)頃より改修し熊本城を
  完成させる。
ーー肥後半国か讃岐国を選び、唐入りの先鋒と
  して肥後を選んだといわれる
         ⇩
1592年(文禄元年)朝鮮出兵
二番隊主将となり北上し朝鮮軍を破り連戦連勝
するが、秀吉逝去により戦いは終結。
ーー虎退治したという逸話が伝承される
ーーセロリを日本に持ち込んだことで異名の
  ひとつが「清正人参」である
         ⇩
石田三成への不信感から福島正紀らと暗殺未遂
を起こすが失敗。
1600年(慶長5)関ケ原の戦いでは黒田如水と
ともに九州で西軍勢力を次々に破る。
ーー戦後の論功行賞で小西旧領の肥後南半を与
  えられ、52万石の大名となる
         ⇩
1610年(慶長15)徳川家による名古屋城の普請
に協力。1611年(慶長16)二条城における家康
と豊臣秀頼との会見を取り持つ。
ーー名古屋城の天守は清正が築城した
ーー豊臣家の家格を高いまま残したいという
  思惑があった
         ⇩
帰国途中の船内で高熱を発し、同年6月24日
熊本で死去。享年50
ーー徳川方による毒殺説ともいわれる
ーー1632年(寛永9)加藤家は改易され、肥後
  隈本藩に細川氏が入国する
 
”銀杏城”の名は籠城戦に備えて城内に銀杏の木を植
えたことに由来します。
 
朝鮮出兵で食料不足に苦しんだ経験を生かして加藤
清正が植えたと言われていますが、銀杏の大木は
雄木のため実はならず、後世作られた俗説と考えられます。
 
また、籠城時の食料の確保のため城内の建物の土壁
に干瓢(かんぴょう)を塗篭め畳床には食用になる
里芋茎を用いて備えたといいます。
 
井戸を120箇所も掘り、籠城戦の水不足に備えていました。
現在は立ち入ることはできませんが、本丸御殿の中
には「昭君之間(しょうくんのま)」と呼ばれる一番
格式の高い部屋がありました。
 
この部屋は藩主の居間として使われていましたが
一説によると、豊臣秀吉の遺児、秀頼を熊本城
に迎え入れるためといわれています。
ーーしょうくん⇔しょうぐん(将軍)の隠語とする説が
  あります
 
秀吉から受けた御恩を忘れずに忠義を尽くした実に
清正らしいエピソードです。
 
北十八間櫓(国指定重要文化財)ー
高さ20mの石垣に建つ全長約40mの一階建ての櫓。
熊本地震によって櫓と土台の石垣が崩落しました。
崩落した部材や石材は修復に備え、整理・保管しています。
 
平櫓・不開門(国指定重要文化財)ー
天守の北東に防御機能を備える一階建ての櫓。
 
石垣の東脇を通る坂道は熊本城で唯一現存する櫓門
で、平時は開けなかったと伝えられ不開門(あかず
のもん)といわれています。
 
戌亥櫓
西出丸の北西角にある木造二重三階櫓。
方角を動物で表すことがあり、北西を指す戌亥
(いぬい)の名が付いています。
 
櫓の崩壊を過度の石垣で支え、一本足で支えている
ように見えることから当時の建築技術の高さが伺えます。
 
今しか見れない復興中の様子は貴重のため天守閣
に入れなくても逆にチャンスと思ってシャッター
チャンスを狙いましょう!
 
未申櫓
西出丸の南西角にある三階櫓。江戸時代には
奉行丸とも呼ばれ南西を指す”未申(ひつじさる)”
の名が付いています。
 
平成15年に木造で復元されましたが、熊本地震に
より石垣や塀などが崩れました。
 
石垣は熊本城の特徴のひとつ”武者返し”と呼ばれ
ています。下はゆるやかに見えますが、上に向え
ば向かうほど反りが強くなっています。
 
西大手門櫓・元太鼓櫓(国指定重要文化財)ー
西出丸に3つの大手門を設置し、城の玄関にあたる
西大手櫓門は最大規模かつ最も格式高い門です。
 
平成15年に元太鼓櫓と同時期に復原されたものです
が、熊本地震によって石垣が崩壊し、櫓が傾きました。
 
大小天守
正面右側の大天守は1600年(慶長5)に加藤清正に
よって築かれました。正面中央は1877年(明治10)
の西南戦争直前に焼失し、1960年(昭和35)に鉄筋
コンクリート造で再建されました。
 
白漆喰と黒い下見板のコントラスト。
大天守最上階の出窓には”唐破風”が設けられ、下階
には”千鳥破風”が施され力強く美しい装飾です。
 
宇土櫓(国指定重要文化財)ー
大天守、小天守に続き、”三の天守”と呼ばれる
江戸時代から残存する重要文化財の宇土櫓です。
 
地上五階地下一階、高さ約19m。西南戦争時に大小
天守は炎上しましたが、大天守に次ぐ大きさの宇土
櫓は焼けずに残りました。
熊本地震では壁漆喰や床などが破損し、土台石垣も
損傷しました。
 
美術館・細川コレクション
バケツをひっくり返したかのような土砂降り
に変わり、雨宿りと見学を目的に入ってみます。
 
細川家ゆかりの名品を常時展示したスペース。
訪れたときは細川ガラシャをテーマにした
展示をしていました。
 
細川忠興の正室で明智光秀の娘、ガラシャの洗礼名
で知られています。ガラシャ関係の絵画や直筆の文
忠興の愛刀「歌仙兼定」が見られます。
 
加藤神社
熊本の礎を築いた清正公を祀る神社。
勇猛果敢な性格と学問や文化に秀でた国づくりの
政策を行った偉業から特に勝負運の御利益にあや
かりたいという参拝者は年々増加しています。
 
境内にある大きな樹は大天守前の銀杏の樹と共に
清正公がお手植えされたものと伝えられています。
 
境内内からは熊本城の天守閣が望めます。
ーートランスフォーマーしそうでカッコいい!
  有事の際には変形してくれないかな…
 
二の丸駐車
二の丸は駐車場として活用されています。
桜の馬場からも二の丸広場からもアクセスが容易で
観光バスが多く停まります。
 
剣聖宮本武蔵旧居跡
六工橋の近くに居を構えていた跡に標柱が立てられています。
剣豪宮本武蔵は1640(寛永17)、57歳のとき
藩主細川忠利に食客として招かれ、城内の千葉城で
晩年を過ごしていました。
 
熊本城は西南戦争の際の戦火や平成28年の熊本地震
によって被災しました。それにより多くの建造物や
文化財が被災し現在も復旧工事は終わっていません。
特別史跡熊本城跡の石垣の一つ一つは貴重な文化財
です。
 
基本的な石垣復旧の手順としてはーー
崩落状況の記録 ⇨ 石材の番号付け ⇨ 石材の回収
⇨ 石材置き場に仮置き
 
記録し、復旧工事に備えることで崩落の原因
を調査すると同時に将来の崩壊予防に役立てる目的もあります。
 
熊本の象徴として多くの人から愛される日本一とも
称される熊本城。現在も復旧工事が続いています。
 
復興までにはまだまだ長い年月がかかると予想
されていますが一日でも早く元の威風堂々とした
姿を見せて欲しいですねーー
 
住所:熊本県熊本市中央区本丸1-1
TELL:096-352-5900
入城時間:年中無休
定休日:なし
入城料:無料(入城不可)

関連サイトhttps://kumamoto-guide.jp/kumamoto-castle/

桜の馬場 城彩苑ーーSpot

熊本城に隣接し、城下町を模したお土産屋や飲食店
が建ち並ぶ観光施設です。
 
熊本城わくわくミュージアム
入館料¥300。熊本の歴史や文化を学べる
エンターテインメント型の体験施設。
 
1階は熊本城のジオラマや資料が展示されていて
クイズなど色々な体験型のゲームが楽しめます。
 
プロジェクションマッピングを用いた熊本地震前と
後の様子がわかりやすく、復旧情報を知ることができます。
 
2階では「VR熊本城」を上映しています。
震災前でも立ち入れなかった場所の様子もCGで見れます。
 
おもてなし武将隊。加藤清正、細川忠興など九州
の名だたる武将に扮し、時間帯により演武を披露
してくれます。
 
激しく動いているときは写真がブレブレになります
が、最後にシャッターチャンスを作ってくれるので
そのときに写真を撮りましょう。
 
”香梅庵”の「陣太鼓ソフト」¥432
北海道産大納言あずきを使ったあんこにミルクソフ
トをミックスした和スイーツです。
 
熊本の銘菓、陣太鼓が中に入っていて求肥が練り込
まれモチモチの食感で甘さもちょうどよいです。
 
城彩苑には他にも個性派でおもしろいソフト
クリームが多く、ソフトクリームの宝庫に
なっています。
ぜひ色々と食べてみてくださいーー
 
馬肉メンチカツ」¥250
揚げたてで馬肉がぎゅっと詰まっていて肉肉しい
味わいです。
 
熊本城は天守や城郭の復興の様子だけでなく
桜の馬場城彩苑も合わせて周り、熊本の名物や
美味しいものショッピングも楽しむことを
オススメします。
 
住所: 熊本市中央区二の丸1番1
TELL:096-288-5600
営業時間:月~金 9時00分~19時00分
     土・日 9時00分~20時00分
定休日:なし
入場料:無料

関連サイトhttp://www.sakuranobaba-johsaien.jp/

総括ーーSummary

加藤清正は城内の銀杏の大木を指し
「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時
にこの城で兵乱が起こるだろう。」
とつぶやいたという言い伝えがあります。
 
それから時が過ぎ明治時代、銀杏の木は天守とほぼ
同じ高さになりました。明治10年に西南戦争が起
こり、熊本城と城下が戦場となりました。
 
西南戦争の際、官軍の守る熊本城を攻め落とすこと
ができなかった西郷隆盛は「おいどんは官軍に負け
たとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と
言ったと伝わっています。
 
(次回)ーー小さな漁村の集落が世界遺産に!?
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