京都(中京区)ーー商業・ビジネスの中心地 Chukyo
元離宮二条城ーーCastle
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パーキングは近い場所だとどこも値段が高いので
二条城から少し離れた場所を選びました。
チャリで行けば安上りになるだろうーー
しかし、それが罠でした。自転車は駐輪場があって
結局、近場に停めたときとあまり変わらない値段
となりました。
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入場料:一般¥600
ここでも外国人観光客が大半です。日本語なのか
何語なのかわからなくなってきます。
修学旅行生は意外と少なかったです。あまり人気
ないのかな…
◆Pick up◆
二条城
・1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康
が天皇の住まう京都御所の守護と将軍上洛の際
に宿泊所とするために築城
・総面積:275,000m2 外周:約2km
東西:約600m 南北:約400m
・1994年(平成6年)「古都奈良の文化財」として
ユネスコにより「世界文化遺産」に登録
◆二の丸御殿(6棟)ーー国宝(建造物)
◆東大手門等(22棟)ーー重要文化財(建造物)
◆二の丸御殿障壁画(1016面)ーー重要文化財(美術工芸品)
◆二の丸庭園ーー特別景勝(庭園)
二条城の名前の由来は足利尊氏から3代将軍足利義満
までの足利家将軍が二条に屋敷を構えたことから
二条陣、二条城と呼ばれ始めました。
Column
大政奉還
1867年(慶応3年)10月14日
江戸幕府15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返上し、200年続いた江戸幕府はここに幕を降ろした。
・徳川家康が朝廷から征夷代将軍の命を受けてから政治の大権を担い、日本の統治者として君臨してきた。
・幕末、討幕運動により大政奉還の意見書が提出される。
・慶喜は二条城二の丸御殿大広間に在京していた40藩の重臣を集めて意見を聞き、大政奉還が成立し、やがて江戸城無血開城へと繋がる
大政奉還によって江戸は戦火から免れ、現在の東京
の発展はなかったでしょう。
もし、慶喜の英断がなければ戦争が長引き、江戸が
焼け野原になり今の首都が変わっていたかもしれません。
ー東大手門(重要文化財)ー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC00918.jpg)
二条城の正門。現存の門は1662年(寛文2年)頃だと
考えられています。
そのため、前の空間は江戸城の大手門と同様に広く
設計されています。
石段にたむろしていてなかなか人がいなくなり
ません。お城の中は予想以上に広く、正直1時間で
廻りきれると思って舐めていました。
ー東南隅櫓(重要文化財)ー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC00923-1a827.jpg)
二条城の外堀と内堀、外堀北中央の計8箇所に見張り
台としての櫓が建てられ、普段は鉄砲などを収納
する武器庫として使われていました。
1階屋根には千鳥破風が載せられていて、2階には
「棹縁天井」が貼られています。大火により今では
東南隅櫓と西南隅櫓が現存するのみです
外からでも非常に目立つので散歩やランニング中に
いつも見てる人もいるのではないのでしょうか。
ー唐門(重要文化財)ー
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![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC00932.jpg)
二条城の見どころさんです。二の丸御殿の正門。
切妻造、桧皮葺の四脚門、屋根の前後には唐破風
が付いています。
門の装飾には長寿を意味する「松竹梅に鶴」、聖域
を守護する「唐獅子」煌びやかな金の飾り、彫刻の
極彩色が特徴です。
2013年(平成25年)に修復工事が完了。
どうりで眩いばかりに光り輝いているはずですーー
真上を向くのかなりキツイですが…龍や虎、鶴など
縁起物が並べられています。
ー二の丸御殿(国宝)ー
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・国宝
・1603年(慶長8年)に造営
・遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院
白書院の6棟が雁行型が立ち並ぶ
・部屋数33室、800畳余りにもある
・現存天守12城
・江戸初期の書院造で国内に残る唯一の御殿
として日本建築の重要な遺構
・1952年(昭和27年)国宝に指定
内部には日本史上最大の画派である狩野派による
障壁画が部屋ごとに飾られています。
特に永遠の繁栄を表す「松」が数多く描かれていて
将軍の御殿にふさわしい華やかな建物になっています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01848-005e6.jpg)
建物の中は文化財保護のため撮影禁止です。
ダメ。ゼッタイーー
上の写真は御殿の図面です。
入口は「車寄」と呼ばれ、その名の通り天皇
や公家が牛車で訪れたときに直接車ごと入る
ことができるつくりになっています。
徳川慶喜と重臣たちが大政奉還を実際に成立した
部屋である大広間。来客用の別名「虎の間」では
徳川家の権力を一身に受け緊張してしまいそうです。
有名な「鶯(うぐいす)張り」も楽しめます。
目かすがいと釘の擦れによって音がなる仕組み。
もっと鈍い音が鳴ると思っていたけど、きゅっ
きゅっと気持ちいいです♪
部屋の一つ一つに何のために拵えた部屋なのか
わかりやすく説明がされていて桜や四季折々が
描かれた障壁画に注目して回るとおもしろいです。
ー二の丸庭園(特別景勝)ー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC00953.jpg)
別名「八陣の庭」
桃山様式の書院造の池泉回遊式庭園。
二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の3方向から
どこから見ても観賞できる配置になっています。
ー天守閣跡ー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC00968-bc270.jpg)
かつて伏見城から移された五重6階の天守閣。
しかし、1750年(寛延3年)落雷により焼失して
しまいました。
階段は急ですが段数は少ないので疲れていても石垣
に登ることをオススメします。
本丸御殿や庭園周囲の景色を見渡したり、休憩でき
ます。
ー本丸御殿(重要文化財)ー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC00972.jpg)
天守閣跡より本丸御殿を望みます。
内堀に囲まれた20,000m2の本丸にある本丸御殿
は京都御苑の敷地にあった桂宮家を移築したもの
です。
完全な形で残っている宮御前の遺構として
重要文化財に指定されています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC00977.jpg)
二条城の本格修理プロジェクトが唐門から始まり
着々と修復完了しています。
2017年に大政奉還150周年を迎えて本丸御殿修復
工事が開始され2021年に完成予定です。
世界遺産二条城の本格修理事業では多大な費用と
年数が掛かります。そのため、京都市では寄付を
募っています。寄付額に応じて記念品と特典も
用意してあります。
「あなたも一口城主になってみませんか」
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC00990.jpg)
ー土蔵(重要文化財)ー
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1626年(寛永3年)頃の建築。長さ17間と長く、内部
が2つに分かれています。
江戸時代には10棟存在していましたが、現在では
3棟の土蔵が残るのみです。
ー北中仕切り門(重要文化財)ー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC00998.jpg)
1626年(寛永3年)頃の建築。本丸西櫓門への通路を
塞ぐ、防御上重要な門です。
門の上に立つ土塀と石垣に囲まれていて
「埋門(うずみもん)」と呼ばれています。
埋門はこの他に「姫路城」が有名です。
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江戸時代の終焉の地でもありーー
徳川家康が征夷代将軍に任命され江戸幕府の幕開け
の地でもあります。
お城は徳川家の栄枯盛衰と日本の歴史の移り変わり
を見守ってきただけに威風堂々としています。
二条城に徒歩10分と近く、24時間最大¥900なので
こちらが格安でオススメです。しかし、周辺には
まだ見ぬ格安のパーキングがあると思うので探して
みてください。
カトリック河原町教会ーーChurch
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01030-84a9e.jpg)
正式名「京都司教区聖フランシスコ・ザビエル大聖
堂 カトリック河原町教会」
守護聖人であるフランシスコ・ザビエルは都に教会
を建てることを望んでいましたが志半ばで果たす
ことができませんでした。
しかし、その志は受け継がれ、禁教令が解かれた後
1890年パリ外国宣教会から派遣されたヴィリオン
神父により木像バロック様式の聖堂が建立されました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01034.jpg)
1967年に老朽化のため解体され現在の聖堂はスイス
人司祭フロイラー神父の設計で建設されました。
この奇抜な屋根の曲線は日本の神社様式を取り入れ
たものです。
しかし現在、教会の人は屋根の形が特殊なため
修繕など維持管理に普通の屋根よりお金が掛かる
と言っていました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01043.jpg)
小聖堂にはブロンズの「都の聖母」が安置されて
います。早朝や夜のミサ、黙想会などに利用され
ています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01049.jpg)
教会の入口上には大体パイプオルガンが設置して
あります。1971年、ドイツボッシュ社により
設計・製作されました。
滅多に演奏されませんので聴きたい方は問い合わせ
てみることをおすすめします。
椅子に座っていると後方から聴こえる美しい音色は
まさに天上から響いてくるようでしょう。
こんな素敵な教会が家の近くにあったら毎日にでも
通いたいものですーー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01054.jpg)
カトリック河原町教会の近く、ホテル本能寺ーー
綾瀬はるか主演の映画である「本能寺ホテル」と
文字が反対です。
実際に本能寺の変があった場所とは違いますが織田
信長が最後に宿泊した寺院です。
この地に焼き討ちされない限りは一度宿泊して
みたいです。
ラーメン 霽レ空 HARESORAーーGourmet
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01058.jpg)
から戻る道中、お洒落なお店の名前のこちらのお店に寄りました。
14時なのでお腹ペコペコです。
牡蠣は出汁だけですがほのかに香ります。
醤油ベース味がチャリを漕ぎ疲れた体に染みます。
麺は中細ストレートでのど越しが非常に良いです。
実際に牡蠣が入ってたらいいなー
と思いつつ、でも値段上がるしなーと考えながら
スープも飲み干して完食です。
TELL:ー
営業時間:11時00分~15時00分
18時00分~22時00分
定休日:月曜日
駐車場:無
公式HP:ー
京都(左京区)ーー伝統行事と学生のまち Sakyo
平安神宮ーーShrine
平安神宮の周辺にはーー京都国立近代美術館
京都市美術館など文化施設が集中しているため
一日中過ごせるスポットです。
ただ、駐車場が少なく離れているため、大多数の人
は岡崎公園の地下に停めると思いますが1時間¥500
と時間に追われ、ゆっくり過ごせないので公共交通
機関を利用することをおすすめします。
◆Pick up◆
平安神宮
・1895年(明治28年)平安遷都1100年を記念
して京都で開催された内国勧業博覧会の目玉
として当時の大内裏の8分の5スケールで
復元された
ーー当初、実際に大内裏があった千本丸太町に
計画されたが、用地買収に失敗し郊外で
あった岡崎に復元された
・平安遷都を実行した第50代桓武天皇を祀る
神社として創祀
・2010年(平成22年)太極殿、東西歩廊2棟
蒼龍楼、白虎楼、應天門(おうてんもん)
以上6棟が重要文化財に指定
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01071.jpg)
境内はとても広大でこれで8分の5スケールなんて
驚きです。復元前なら平城宮跡とどちらが大きか
ったでしょうかーー
ー應天門(重要文化財)ー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01078.jpg)
2層の楼門、碧の本瓦葺。
明治時代の仏閣が重要文化財になるなんてよっぽど
精巧に再現されていたのですね。
朱色の塗装と碧色の屋根が映えます。今でも十分
大きいんですけどね。ちなみに、写真のこの場所
は修学旅行生が集合写真によく用いるスポットです。
ー蒼龍楼(重要文化財)ー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01067.jpg)
2層の楼閣、本瓦葺、屋根の中央と4隅に2階建ての
楼閣があります。
視点によって4階建てにも見えるので立体的で写真
映えする建物です。単なる飾りなのか、それとも
意味があるのか気になるところですーー
ー大極殿(重要文化財)ー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01075.jpg)
入母屋造、本瓦葺、横幅:30m。
平安時代、日本の政治の中心だった場所で天皇から
の御言葉を受け賜る場でした。
大極殿の両側には左近の桜、右近の橘が配置されて
います。
シンメトリーの構築美と屋根には金色の鴟尾(しび)
が飾ってありますが曇り空なので光り輝いていませんね。
ー白虎楼(重要文化財)ー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01076.jpg)
蒼龍楼の左右対称となっていて2層の楼閣、本瓦葺
屋根の中央と4隅に2階建ての楼閣があります。
四聖獣のうち、2体が揃ってるなら朱雀、玄武もいる
はずですが復元はされていません。本来は4棟揃って
都の東西南北を守護していました。
ー大鳥居ー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01088.jpg)
大鳥居は日本最大級の24.4mもの高さを誇り
應天門まで約300m距離が離れているのにも
関わらず平安神宮を一直線に見通せます。
町の中に、道路を跨ぐような恰好で朱色の鮮やかな
鳥居が景色に溶け込んでいる様子がとても印象的で
県外から来た人には珍しく感じます。
総括ーーSummary
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/07/DSC01065-25ad9.jpg)
3代将軍徳川家光から数えること200年以上
14代将軍家茂まで二条城には将軍が不在だった
ため、建物や庭園は手入れが行き渡らず荒れ放題で
樹木はほとんどなく池の水が干上がり、枯山水みた
いになっていたといいます。
現在みたいに特別名勝に整備されたのは宮内省の
管轄になってからでした。
二条城本格修理工事事業は第4期まであり、2034年
まで予定されています。事業費合計は100億円
途方もない額と時間が必要ですが世界遺産を残す
ために何事もなくプロジェクトを完遂してほしいです。
「弘法も筆の誤り」このことわざは有名ですねーー
実はこのことわざの始まりはこの應天門なんです。
当時の平安神宮の應天門には、弘法大師が書いた額
が上に飾ってあったのですが掲げてから應天門の
「應」という字の点を書き忘れたため、大師が筆を
投げて書き加えたと伝わっています。
ーーすごいコントロールと肩です、時代が違えば
伝説の投手になっていたでしょう(笑)
ครั(次回)ーー金の寺と銀の寺どっちがいい?
天狗に弟子入りしにひたすら山登り
牛若丸のルーツを辿る