周南ーー出口のない海の舞台 Shunan
周南工場夜景ーーView
錦帯橋を渡った後、山賊で満足するまで食べて
その上、夜景を見に行こうと思います。
ーー贅沢すぎてバチ当たるかも(汗)
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1時間掛けて周南のコンビナートを一望できる
終日開放されているビュースポット
「晴海親水公園」に到着です。
周南市の臨海部にはセメントや石油化学など
色々な工場群が集約されています。
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煙突や建物を夜景に隠れた動物達に見立てて
いるため探してみましたが遠くてあまり見えませんでした。
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近くの港から撮影ーー
水面に映るライトアップ、昼とはまったく違った
表情が幻想的です。
周南市は”日本五大工場夜景都市”の一つとして
美しい夜景スポットに数えられているスポットです。
回天の島(大津島)ーーIsland
「回天」という言葉を知っていますか。
神風特攻隊は広く周知されていても
回天という言葉自体を知らない人が大多数だと思います。
「回天」とは”天を回らし、戦況を逆転させる”意味。
”市川海老蔵”が主演した映画「出口のない海」
を観たなら人間魚雷回天という言葉が胸に
刺さることでしょう。
なんとなくわかる人間魚雷「回天」の秘話
太平洋戦争末期ーー旗色が悪い日本が
”秘密兵器”を開発したと全国の若者を募集し
それを訓練した場所が山口県周南市太津島
(昭和17年)連戦連勝を重ねていた日本軍が
ミッドウェー海戦以降、主導権を奪われた
ーー損害:空母4隻、航空機約300機
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戦況を覆そうと空軍は「神風特攻隊」
海軍は「人間魚雷回天」開発
ーー表向きは秘密兵器として搭乗者を募集
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全国から400名余り志願してきた。
従来の魚雷の約3倍の火薬を先端に詰め敵船に
突撃という作戦内容をこの時初めて知った
ーー脱出装置は開発が難しく断念
⇩
訓練中に命を落とす者もいて訓練は苛烈を極めた。
1944年(昭和19)出撃したら最後、2度と戻って
これないという約束の元、兵器に乗って1人
静かにコンパスと時計を頼りに暗い海中に
出撃していった。
ーー水深5mを潜航し、一度だけ目標物を確認
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標的は南太平洋のウルシ―に停泊している
アメリカ艦隊。しかし、地図も艦隊の情報
も知らされていないため、戦果はタンカー1隻のみ。
ーー士気を低下させないため国民には大戦果を挙げたと発表
その後、何回も奇襲作戦を決行するが
対策を取られ停泊地に近づくこともでき
なかった。訓練を受けた1,375人中145人が犠牲。
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p.m.1:10ーー徳山港
徳山から出ているフェリーに乗って出発です。
目的地が目的地だけにわくわくという表現は
不謹慎ですが、私はこんな遺物や歴史を感じる
場所に魅力を感じます。
港に無料で車を停められる駐車場があるので安心です。
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夜に眺めた工場夜景も朝になったら無機質な
感じになっていて生活感が戻っています。
乗客はまばらで年齢層は高い気がします。
細部まで輪郭がはっきりしているのでわからな
かった動物の形が見えます。
ーー紅白のキリンかな
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p.m.1:38ーー馬島港
28分で回天の島日到着。
大きな看板で「回天の島」と書かれています。
第一印象は綺麗な島ーー
だけどどこか物悲しい雰囲気を感じ入ります。
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訓練基地跡に行く前にまずは回天記念館で知識
を蓄えます。
港からすぐのところに供養塔。比較的新しめです。
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p.m.1:44ーー回天坂
宿舎が現在の回天記念館に建っていたため
訓練兵は毎日この坂を通って訓練したり
出撃していました。そのため回天坂と呼ばれる
ようになりました。
どんな気持ちでこの坂を毎日上り下りしていたか
想像しながら上ると足が思うように動かなくなります。
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右手の塀の先は回天の整備工場跡地に建てられた
馬島小中学校があります。
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整備工場と兵舎を繋いでいた階段です。
鍛錬の場として使われていたことから
「地獄の階段」とも呼ばれていたと言います。
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p.m.1:50ーー回天記念館
記念館に続く道の石板には亡くなった145人
の名前が刻まれています。
敗戦で部隊が解体した後、旧呉海軍工場に勤務
していた毛利勝郎氏は機密文書や設計図を持ち
出し、遺族を訪ね遺品を預かり、回天記念館の
基礎を作りました。
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![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/01/KIMG2851.jpg)
旧日本海軍が世界に先駆けて開発した
「九三式酸素魚雷のエンジン」
酸素そのものを酸化剤に使用した敵艦から発見
されにくい性能の高性能魚雷を搭載していました。
入口の前に回天のレプリカ。このとき初めて
「回天」を見ました。どういうふうに人が乗って
いたのか想像がつきません。
ーーエヴァンゲリオンのエントリープラグみたいです
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入館者30万人達成の知らせがありました。
広島平和記念館といい平和に関する資料館
は入場料が総じて安価なのがいいですよね。
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145名の遺影。遺品や遺書、手紙といった収蔵品。
時代の背景や当時の生活風景を中心に
約1,000点紹介しています。
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映画「出口のない海」で使用された回天の
ロケセット。操縦は大変難しいと書いてあり
操縦が上手な訓練兵から先に出撃していきました。
ーー当然命中率は格段に下がっていきます
こんな窮屈なところに詰め込まれたと考えると発狂
する自信があります。
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出撃が決まると、最後の別れとして一時的に実家
に帰ることが許されます。
しかし、死刑宣告にも等しい特攻は極秘であるため
家族にさえ知らされていませんでした。
どんな気持ちで手を振っていたのか。
送られる方も送る方もーー
今では知る由もありません。
TELL:0834-85-2310
入城時間:8時30分~16時30分
休館日:毎週水曜日及び年末年始(12/29~1/3)
入館料:大人¥300
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p.m.2:57ーー遊歩道
回天記念館から横道の獣道を通って「見張台」
と「展望台」を目指します。
あと何mという看板が心の拠り所です。
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p.m.3:01ーーモニュメント(未来の風)
700m歩いて頂上に着きました。
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周囲の森が深く景色はあまり望めません。
天気には恵まれましたが…
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p.m.2:58ーー魚雷見張所跡
途中で道が分かれている展望所は回天基地が
設置される前から発射試験の場として宇部沖
に向けて発射される魚雷を観測するために
設けたものです。
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p.m.3:24ーー回天訓練基地跡へのトンネル
レールがあったため、この中をトロッコに回天を
乗せて訓練場へ運んでいました。
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当時の写真が壁に掛けられています。
近くを通ると自動音声が流れるので知らないとびっくりします。
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p.m.3:34ーー回天訓練基地跡
長いような短いようなトンネルを抜けると
訓練基地跡とどこまでも広がる青い海が視界に入ります。
出撃命令が下った翌朝は
トンネルから抜けないでくれーー
ずっとトンネルを歩いていたいーー
と思いながら歩いていたのでしょうか
はたまた心を固めて勇ましく出撃していったの
でしょうか。
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コンクリートの支柱と外観の骨組みのみ残って
います。全国で唯一残っている回天基地であり
戦争遺産として土木学会推奨の土木遺産に認定されました。
どんなドラマが繰り広げられていたのかーー
万感の想いで見送っていたかと思うと感情には
できない何かが流れ込んでくるかのようです。
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回天を海上に下ろす際に使用されたクレーンの
基礎の跡。まさにこの場所で訓練を行っていた
証拠で生々しいです。
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戦後、回天は瀬戸内海に沈められ多くの書類が
焼却され幹部は大津島で戦後処理に追われ戦死者の
遺族には電報や弔辞が届けられました。
島に住む人たちにも知らされていなかった特攻作戦
は新聞などに取り上げられ世間に公になっていきました。
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p.m.4:15ーー大津島フェリーターミナル
回天訓練基地跡を後にしてもと来たトンネルを
戻ります。
戦利品ーーSENRIHIN
A little detour
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この島に来たという証拠を残したくて購入。
色合いが綺麗で他にも数種類あります。
永源山公園ーーPark
回天の島で歩き回った後の山登りは堪えます。
体力の限界です…
周南市の市街地や瀬戸内海が一望。
夜になるとコンビナートの工場夜景が楽しめます。
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大きな風車がシンボルの綺麗で大きな公園です。
本格的なオランダの「ゆめ風車」が展望台に
建っています。
帰り道、電灯がなかったので暗くなる前に山を下りました。
ーー決して怖かったわけじゃないですよ(汗)
総括ーーSummary
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愛しい人々を守る為なら鬼にも蛇にもなれる
ということをまざまざと見せつけられました。
祖国を救いたい、活躍して昇進したい
なんて考えのヒーロー願望の若者は少数派
だったことでしょう。
歴史というと戦国!幕末!
それもいいですが、現代に直接関係する近代が
私の中で今一番熱いジャンルです。
なぜ中東で紛争や戦争が絶えないのか。テロが横行
しているのかーー
全て歴史に答えがあります。バックボーンを
知らないとニュースを見てもどこか他人事に感じて
しまいがちですが日本にも大いに関係あります。
歴史の授業では縄文から江戸時代はみっちり勉強
するのに対して戦争に関する授業の比率は極端に
低いことに憤りを感じます。
現代に最も近い歴史は近代です。今を知ることは
全て過去に繋がっています。
(次回)ーー日本三天神、藤原道長を祀る神社