【旧萩藩校明倫館】in山口8ーー明治維新胎動の地。時代に挑んだ男たちのルーツを求めてー中編

山口ーーYamaguchi
萩ーー英雄たちが闊歩していた町 Hagi
赤い範囲をズーム!          ⇩
呉服屋の通りとこれに直交する三筋の小路
(江戸屋横丁、伊勢屋横丁、菊屋横丁)があります。
 
江戸屋横丁
黒板塀が続く、風情ある中・下級の武家屋敷
が軒を連ねています。
 
伊勢屋横丁
伊勢屋の商屋が建ち並んでいて
裏通りのような細い路地です。
 
菊屋横丁
白壁となまこ壁が織り成す美しい
日本の道百選」に選ばれています。
 
高杉晋作誕生地
菊屋横丁の通りに面した長州で育った時代の
風雲児。南側半分が公開されており、観光
ルートとして多くの見物客が訪れます。
 

なんとなくわかる高杉晋作

「俺は、ただ壊すだけだ。この腐った世界を」
とまではいかないが、疾風の如き戦術の
天才の生き様。
1839年(天保10)萩の地に生まれる
ーー萩藩士高杉小忠太の長男。裕福な家柄
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久坂玄瑞の勧めで明倫館に入り、吉田松陰に
弟子入り
ーー武士としてのプライドを指摘され、猛勉強の末に双璧と称される
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吉田松陰が処刑され、師の志を継ぎ海外視察を行い危機感を抱く。
ーー奇兵隊の創設、四国連合艦隊の談判、下関挙兵など力を尽くす
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1867年(慶応3)維新の夜明けを待たずして労咳のため病没。享年28
ーー辞世の句「面白きなき世もおもしろく、住みなすものは心なりけり」
 
高杉晋作ゆかりの品や産湯の井戸があります。
イラストで晋作の人生をまとめていたり
高杉晋作の男も惚れるかっこいいエピソード
の数々。
ファン必見のスポットです。
 
近くの公園には髷を結った若かりし頃の
銃ではなく刀を差した凛々しい像が立っています。
 
円政寺
高杉晋作と伊藤博文が幼少の頃、勉学に励んでいた
神仏習合の形態が見られる貴重なお寺です。
入館料:大人¥200 拝観時間8時~17時
 
伊藤博文は高杉晋作の兄弟のような子分のような
関係でよく振り回されていたようです。
それは成長しても変わらず、晋作のピンチに博文が
奇兵隊を率いて颯爽と現れたこともあります。
 
木戸孝允誕生地
江戸屋横丁に面し、高杉晋作の生家とは
ご近所同士です。幼いころは晋作の兄貴分として
どんな話をしていたのでしょうかーー
 

なんとなくわかる木戸孝允
西郷隆盛、大久保利通と並び「維新三傑
桂小五郎=木戸孝允

1833年(天保4)萩藩医和田昌景の長男として
萩に生まれる
8歳で150石(末期養子のため90石)の
桂家の養子になる
ーー初名は桂小五郎、実名は木戸孝允
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17歳で吉田松陰に学び「事をなすの天才」と評される。
黒船に衝撃を受けて西洋の知識を蓄え、藩の中核を担う。
ーー松下村塾の門下生ではなかったが、友人として接した
           ⇩
1864年(慶応2)池田谷事件、禁門の変と巻き込まれる
がそのたびに命からがら逃げ延びる。
ーー逃げの小五郎と称される
           ⇩
1866年(慶応2)坂本龍馬の仲介により薩摩の
西郷隆盛と薩長同盟を結ぶ。
ーー長州藩のリーダーとして尊王攘夷派をまとめる
           ⇩
明治政府発足の後、五箇条の御誓文、版籍奉還の実現に力を尽くす。
ーー度重なる功績により「維新の三傑」に数えられた
           ⇩
1877年(明治10)西南戦争の最中、京都で病死。享年45歳
 
通りからは平屋建てに見えますが
宅内にある平面図から2階建てだという
ことがわかります。
 
お殿様を見下ろすことは御法度ということで
こんな構造になっています。
 
この家に生まれ、20歳で江戸に出るまで
ここで暮らしていました。
入館料:大人¥100 9時~17時
 
菊屋家住宅
萩藩の御用商人を務め、藩を支えていた豪商の家。
邸内には美術品や資料等が公開されていて
江戸時代からの暮らしぶりを体感できます。
 
江戸初期に建てられ、400年の歴史があり
現存する大型の町屋としては最古に属し建築史上
極めて貴重ということで5棟が国指定重要文化財
指定されています。
 
住所:山口県萩市呉服町1丁目1
TELL:0838-22-0005
開館時間:8時30分~17時30分
休館日:12月31日
入館料:大人¥600 中高校生¥300 小学生¥200

公式HP:https://www.kikuyake.com/

 
旧久保田家住宅
呉服商・酒造業を営んでいた久保田家は
江戸時代後期に建てられました。
菊屋家と対峙するかのように並んでいて
両家のそれぞれ建てられた時代的特色をよく
表しています。
 
意匠・構造・技術に優れ、酒造業により反映した
状況をよく伝えていて萩城下町を構成する重要な
建物です。

旧萩藩校明倫館ーーSchool

1718年(享保3)5代藩主毛利吉元が藩校の創建
を命じ、萩城三の丸に完成。
1849年(嘉永2)13代藩主毛利敬親がこの地に
新明倫館を完成し、移築しました。
 
日本三大学府の一つ
長州藩「明倫館」 水戸藩「弘道館」
岡山藩「閑谷黌」
 
萩藩校明倫館の跡地に建ち、平成26年3月まで
旧明倫小学校で授業が行われていました。
 
その後、日本最大の木造校舎が建てられ
新しい観光地ーー萩・明倫学舎に生まれ変わ
りました。
 
1870年(明治3)まで藩校として吉田松陰をはじめ
桂小五郎など数多くの優秀な人材を世に輩出
してきましたが、明倫館は廃止されました。
 
高杉晋作と吉田松陰が描かれているパッケージ
の山口名物の夏みかん味のサイダー。
後味すっきりの炭酸に夏みかんがシュワッと香ります。
 
長ーい廊下は掃除をするにも大変です。
ぞうきんがけリレーしながら90mの廊下を掃除
できるイベントが小学生限定で参加できます。
 
2階の教室では天井裏が空いていて
木造の特徴的な構造が観察できます。
 
小学校をそのまま博物館に転じた施設のため
黒板や机、椅子などが残っています。
母校ではなくとも懐かしく感じるのではないのでしょうかーー
 
他にもジオパーク、観光インフォメーション
になっていたりと萩観光の起点になっています。
 
渡り廊下から2号館に向かいます。ここから
有料ゾーンになります。
ここから見える中庭は石材や枯流れの配置が
見事の一言です。
 
幕末ミュージアムでは、幕末維新期の貴重な
医学、地理、科学資料が展示されていて国内でも
類を見ないほど濃い内容です。
 
日本で初めてシリアルノミネーションとして
明治日本の産業革命遺産」に登録された近代化
までの経緯を詳しく理解することができます。
ーー歴史好きにはたまりませんなあ(悦)
 
全ての教室をじっくり見ていたら時間がいくら
あっても足りません。
パネルの説明は写真に撮って後で読むことにします。
 
こんなミニゲームもありました。
”高杉晋作”光栄の至りです。
ーー顔は似てないんですけどね(笑)
 
明倫館遺構 南門
明倫館の正門として建てられました。
藩校明倫館で残っている数少ない遺構です。
 
周囲には他には全国でも会津藩の日新館だけに
残存する水錬池があります。武芸として遊泳や
水中騎馬を行っていました。
 
敷地の奥に移転された小学校は木をベースにした
歴史的な町並みを損なうことのない外観で
のびのびと学ぶことができそうです。
 
住所:山口県萩市江向3区602
TELL:0838-21-0304
拝観時間:9時00分~17時00分
定休日:12月22日~12月31日
拝観料:大人¥300 高校生¥200 小・中学生¥100

公式HP:https://www.city.hagi.lg.jp/site/meiringakusha/index.html

長崎ちゃんめんーーGourmet

お昼は山口県ではおなじみーー長崎ちゃんめん
昭和46年創業以来、新鮮な野菜を使用したこだわり
のメニューです。
 
長崎ちゃんめん+小チャーハン」¥853
リーズナブルな料金設定でヘルシーな料理を
楽しめます。
 
ちゃんめんは味が濃く、ご飯類と一緒に食べると
さらに美味しさが増します。
 

TELL:0838-26-0401
営業時間:11時00分~22時00分(L.O.21時30)
定休日:火曜日
駐車場:有

公式HP:https://www.city.hagi.lg.jp/site/meiringakusha/index.html

総括ーーSummary

史跡が密集している萩城下町。偉人の生家が
多く、家の中を見学するにはどこもお金が掛かります。
 
老朽化などの理由で解体されてしまったり、
文化財の保存・管理が大変です。
そのため、保存協力金は惜しまずに必ず払いましょうーー
 
藩校が出来た場所は湿地帯でした。そこを中心
として市役所や公民館、図書館など町づくり
に必要な施設が建設されたことにより、砂丘
の高地にある江戸時代からの歴史的建造物は
無傷の状態で残り、世界遺産に登録された
大きな要因になりました。
 
(次回)ーー多くの偉人を育てたカリスマ教師
     その手腕に密着!
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