【萩城下町】in山口7ーー明治維新胎動の地。時代に挑んだ男たちのルーツを求めてー前編

山口ーーYamaguchi
 
明治維新150周年の看板が掲げられています。
なんとか暗くなる前に萩入りを果たせたみたい
です。
ーー意外と歴史が浅い!?
 
「道の駅 萩往還」にて小休憩。
店はすでに閉まっていました。
 
吉田松陰や高杉晋作など萩出身の英傑
たちの銅像が並んでいます。
 
 
 
萩ーー英雄たちが闊歩していた町 Hagi
山口県で一番楽しみだった”
この地からどうやって歴史の表舞台に立ったのか
時代を切り開いたのかーー
 
じっくり、ねっとり、まるっと紹介していきます。
ーーただの趣味ですが(笑)
 
昔から変わらない町並みのため駐車場の確保
が大変です。ちょうど萩の中心地にショッピング
モールがあるのでそこに停めてチャリで散策開始です。
 
九州、山口を中心に進められた日本の近代化は
西洋先進諸国からの積極的な技術導入によって
明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に
登録されました。
 
鎖国状態にあった日本は約50年間という短い期間
で飛躍的な経済的発展を遂げました。
 
産業遺産群はその歴史上の重要な段階を物語る上
で欠かせないということを評価され2015年に文化遺産に登録されました。
 
★TOPICS★

明治日本の産業革命遺産ーー萩
1)萩反射炉
 海防強化のために鉄製大砲製造の炉
2)恵美須ヶ鼻造船所跡
 大型の洋式軍艦を製造した造船所
3)大板山たたら製鉄遺跡
 たたら製鉄の技術を用いて鉄の供給を行う
4)萩城下町

 往時の面影を残した維新志士ゆかりの町並み

5)松下村塾
 松陰の志を継ぐ志士たちを輩出した学び舎

 
この中の萩反射炉、萩城下町、松下村塾
3つの資産を紹介したいと思います。
 
久坂玄瑞誕生地
町を歩いているといきなり大物に出会えました。
久坂玄瑞ーー
坂本龍馬と深く関係する人物です。
 
なんとなくわかる久坂玄瑞

イケメンで高身長でインテリで美声、羽振り
が良い天は二物も三物も与えた短すぎる生涯
を奔走した長州一のモテ男
1840年(天保11)萩の地に生まれる
ーー萩藩医の久坂良廸。25石で家格はあまり
高くない
           ⇩ 
15歳で天涯孤独の身に、久坂家当主となり医者
となり久坂玄瑞(くさかげんすい)と名を改めた。
           ⇩                      
成績優秀のため寮生になり、藩に願い出て九州
に遊学。手紙で論破され、思想に共感した
吉田松陰に弟子入り
ーー高杉晋作と共に松下村塾の双璧と称された
           ⇩
安政の大獄により吉田松陰が処刑された後
尊王攘夷の先頭に立ち、精力的に活動。
ーー英国公使館焼討、下関外国宣砲撃に参加
           ⇩
1864年(元治元年)禁門の変(蛤御門の変)に敗れ自刃。享年25
 
1862年(文久2)坂本龍馬は土佐勤王党武市瑞山
の手紙を久坂玄瑞に届けるため
萩へ訪れました。
 
萩に9日間滞在している間、久坂玄瑞は師である
吉田松陰の草奔崛起論を説きました。
その年、龍馬は土佐を脱藩。薩長同盟、大政奉還
など大業を成し遂げました。
この出会いがなければ日本の近代化が遅れ
独立が危惧されたかもしれませんーー
 
旧児玉家長屋
萩城三の丸平安古総門に隣接していた
建物は木造平屋建て、桟瓦葺き、入母屋造り。
 
なまこ壁が特徴的で「国選定重要伝統的建造物保存
地区内」に含まれています。
 
旧周布家長屋門
藩政時代は大組士の筆頭として
1,530石余の知行地を長門市渋木に領していま
した。
 
外観は腰部を下見板張りとし、基礎に切石積み。
上部は白漆喰大壁造の江戸中期の代表的な武家
屋敷長屋の様式を残しています。

萩城址ーーCastle

萩城には総門が3か所あり、大手3つの門と
呼ばれていました。そのうちの一つ、北の総門
「萩開府400年」を記念して復元されました。
 
◆Pick up◆

萩城址 別名:指月城(しづきじょう)

築城年:1604年(慶長9)
築城主:毛利輝元
構造:城郭ー梯郭式平山城 天守ー複合式望楼型5層5階

国指定史跡

◯非現存天守閣(廃城令により櫓など他の建物と共に破却)

日本100名城

 
姫路城と同じく本丸を中心に置かない
梯郭式(ていかくしき)のため本丸門から天守台
が見えます。
 
同じ場所から撮りました。
写真からは立派な天守閣が建っていたことが
わかります。奥まっていて城下町からは
見えなかったそうです。
 
背後には指月山、周囲には石垣と内堀から見て
城攻めは不可能っぽい。
天守台の上には礎石が残っています。
晴れてればもっとよかったんですがねー
 
志都岐山神社
本丸門から真っ直ぐ奥に行ったところにあります。
神社の各所に毛利家の一文字三星家紋があしらって
いて拝殿の奥に本殿と続きます。
 
祭神は毛利元就・隆元・輝元・敬親・元徳
の5柱。その他に初代から12代までの萩藩主
が祀られています。
 
1882年(明治15)に指月神社→志都岐山神社
と称されました。
 
花江茶亭
藩主居館の奥書院の位置にあたり
元藩主・毛利敬親別邸にあった茶室を
移築したものです。
 
展望所から菊ヶ浜を眺めると
ここから激動の時代を見据えていたのか
と往時から変わることのない景色を楽しめます。
 
北矢倉跡
海岸線沿いにぐるっと島の裏側まで来ました。
荒波にも負けずに遺構が残っています。
 
なんとなくわかる毛利輝元

西国の覇者ー毛利元就の孫。
毛利家を生き延びさせ、手腕が光る領地経営。
           
1553年(天文22)毛利高元の長男として誕生
ーー現在の広島県安芸高田市
           ⇩
1563年(永禄6)家督を継ぎ、祖父の元就に養育される。
ーー英才教育
           ⇩
織田信長や豊臣秀吉と覇権を争い、1589年(天正17)広島に居城を築く。
ーー中国地方8か国112万石を領有する大大名
           ⇩
豊臣政権五大老の一人となり、関ケ原の戦いでは西軍総大将を務めた。
ーー戦で敗れ、周防・長門2か国36万9千石に削封される
           ⇩
1604年(慶長9)居城を萩に移し、城下町の建設を推し進める
ーー1625年(寛永2)73歳で没し、萩城三の丸の天樹院に埋葬
 
南門跡には毛利輝元像が鎮座しています。
眼光鋭く威厳があります。
 
住所:山口県萩市堀内2区500
TELL:0838-25-1750
拝観時間:24時間営業
定休日:無
入園料:大人¥210 小人¥100

公式HP:萩城ー日本100名城ガイド

 
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
南門跡近くにある重要文化財で現在萩に残っている
武家屋敷の中で最大の大きさを誇ります。
 
萩城址の入園料にこちらの料金が含まれているため
せっかくなら合わせて訪問しましょう。
 
厚狭毛利家は毛利氏の一門で厚狭(現山陽町)で知行地
を持っていたことからこのように呼ばれていました。
 
1856年(安政3)に建てられたもので桁行51.5m
梁間5mの構造です。
 
屋根は入母屋造、本瓦葺。南側は庇構桟瓦葺
妻飾りは木連格子。南に向かって濡れ縁を
設け開放的に作られています。
 
萩毛利家との繋がりやあの有名な「三本の矢」に
関する逸話が残されています。
 

Column

三矢の訓

毛利元就が嫡男隆元と吉川・小早川家を相続
した元春・隆景の三人に向けた三子教訓状
をもとに作られた逸話。

一本の矢なら簡単に折れるが3本まとめて束に
すれば折れない。
それと同様に三人が力を合わせ、兄弟や一族の
結束は誰にも負けることがないと諭したと伝承されている。

 
リアルな萩城の模型が一番奥の部屋に
置かれています。
 
萩城を一回周っただけでは見えない部分が多く
模型を観察することで全体像が掴めました。

萩博物館ーーMuseum

私が訪れたときには特別展「深海大行進」を
開催していました。
萩はリュウグウノツカイなど深海魚が発見
されてきた有数の地です。
 
ーユメザメ(夢鮫)ー

名称:Centroscymnus owstonii
分類:ツノザメ目オンデンザメ科
生息地:太平洋の西部・南東部、大西洋
由来:目を閉じる様が夢をみているかのよう
特徴:水深100m~1500mの海底近くに
   生息し、イカやタコなど魚類を捕食。
 
深海ザメの一種。普通の魚は目を閉じませんが
この深海魚だけは瞬きします。
 
約300種、約3,000点という日本最大級
数量の深海魚を公開しています。
館内はフラッシュ禁止ですが撮影OK!
 
透明骨格標本が綺麗に並べられています。
ガチャガチャにも進出しているので集めて
飾っておきたいです。
 
ーミズウオ(水魚)ー

名称:Alepisaurus ferox
分類:ヒメ目ミズウオ科
生息地:北太平洋、インド洋、大西洋、地中海
由来:水分と脂肪分が多く、煮たり焼いたり
   すると溶ける
特徴:水深900m~1500mの海底近くに
   生息し、獰猛な肉食で大きな口と牙で
   ほかの生物を丸呑みにする。
 
深海のプレデターと称されるミズウオ
ーー彼岸島の魚人型邪鬼に似てますね
 
ーリュウグウノツカイ(竜宮の使い)ー

名称:Regalecus glesne
分類:アカマンボウ目リュウグウノツカイ科
生息地:太平洋、日本海
由来:竜宮城からやって来たかのような外見
特徴:水深200m~1000mの中層。
   (最大11m・272kg)世界一長い硬骨魚
   の種である。神話上の怪物に例えられ
   食感は水っぽく刺身に向かない。
 
2つの白い巨塔リュウグウノツカイタワー。
3mを超える垂直に立てた日本唯一の標本です。
 
水族館と違い、趣向を凝らした深海魚
の展示は希少価値が高く新鮮で見応えがあります。
 
続いて無料ゾーンの展示室へーー
参勤交代の道のりの過酷さを表しています。
 
吉田松陰を中心とした人物相関図。
わかりやすく図解で解説してあり、楽しく歴史を
学べます。
 
渡り廊下は萩ゆかりの人物の説明がパネルに
なっていて思わず足を止め、説明文を読んじゃいます。
 
高杉晋作資料室には高杉晋作を象徴する
三味線。分解できて胴に収納できる携帯用に
改造してあるそうです。
ーー粋な遊び心を感じます
 
戦利品ーーSENRI-HIN
Booty
明治維新150年を記念して作られたピンバッジ
です。菱形は萩独自の景観を作り出している
なまこ壁をイメージし、赤は情熱、青は知性
緑は若さを表しています。
 
住所:山口県萩市堀内355
TELL:0838-25-6447
拝観時間:9時00分~17時00分
定休日:6月第2水曜日、1月第4水曜日
入館料:大人¥510 高・大学生¥310 小・中学生¥100

公式HP:https://www.city.hagi.lg.jp/hagihaku/index.htm

総括ーーSummary

江戸時代の美しい町並みを求めて年々観光客
は増加しています。
萩は江戸時代までは人があまり住んでいない
不毛の地でした。
 
地盤も三角州で町づくりに適さない
強固ではないこの地になぜ萩城を築いたのかーー
その秘密は地形にあります。
 
海に面した部分では日本海からの風によって
運ばれた砂丘がやがて頑丈な高地を形成していきました。
そこに居を構えたことで現在まで風化せずに
崩れることもなく存在してきました。
 
(次回)ーー武家屋敷、なまこ壁、鍵曲の残る
     世界遺産の町筋を歩く
タイトルとURLをコピーしました