【巌流島】in山口11ーー関門海峡に浮ぶ決闘の聖地から男のロマンに浸る

山口ーーYamaguchi
下関ーー歴史のターニングポイント Shimonoseki
観光地での駐車場確保は頭を抱える難題です。
さらに安くて停めやすい場所なんてなかなか
見つかりません。
 
そこで駐車後24時間で600円を発見して
私は停めました。しかも警察署の近く。
ーーそれはどうでもいいか
 

駐車場から唐戸市場まで徒歩で23分。
チャリなら余裕です。潮風を感じながら
海沿いの整備された道を漕いでいきます。
 

もっと近くがいいのなら「あるかぽーと臨時駐車場」
がおすすめです。1回700円で1日中停めれます。
 
よくイベント開催してることが多いので事前に
調べて行きましょう。
 
海が荒れ狂っています。こんな海で小舟を浮かべ
源平合戦が行われていたと思うと感慨深くあります。
ーー源平合戦については後に説明します
 
途中で「はい!からっと横丁」や「海響館」
を通ります。
一気に移動範囲が広がってどこから手を付けようか
観光にグルメに迷います。
 
唐戸市場というと新鮮な魚介類というイメージが
強く有名ですが、出発点は1909年(明治42)野菜
果物市場から始まりました。
 
当初は亀山八幡宮に位置していて魚市場と合併して
現在の魚市場に特化した唐戸市場になりました。
 
平日に訪れてもあまり賑わっていない印象を
受けます。出店もないし何より人が少ない。
 
それもそのはず観光客向けの馬関街
土日祝と金曜日にしか開催していないらしいです。
 
下関といったら”ふぐ”
ここ下関ではふぐではなく”ふく”と呼びます。
お土産として贈りたいところですけど高価
過ぎて手が出せません(汗)
 
市場内には巨大ふく像。
丸々と福福してマスコットにする気持ち
もわかります。
 
住所:山口県下関市唐戸町5−50
TELL:083-231-0001
営業時間:月~土 5時00分~15時00分
     日・祝 8時00分~15時00分
定休日:なし
駐車場:有料

公式HP:http://www.karatoichiba.com/about/

 
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地
カモンワーフ東側駐車場内にザビエル来日450年
を記念して建立された碑があります。
 
1549年に種子島、翌年には下関に上陸しました。
有名な肖像画のザビエルではなく若かりし頃
のザビエル画になっていてザビエルの故郷スペイン
にあるザビエル城の石も置いてあります。
 
戦利品ーーSENRI-HIN
Booty
関門海峡の海の幸やお土産が一通り揃います。
フードコートが多い商業施設なので唐戸市場と
セットで楽しめます。
 
ご当地ピンズーー小倉城
北九州のお城。工事中のため中には
入れませんが近くまで行こうと思います。

ふくの河久ーーGourmet

下関を訪れたからには”ふく”を見るだけでなく
食べて楽しまないともったいないです。
 
安く美味しいお店を探していたらいかにも
大衆食堂的なこちらのお店を見つけました。
 
ふくふく満足セット」¥1,500
ふく刺しぶっかけ丼にポン酢系のタレを掛け
ご飯と一気に至福です。ぷりっぷりのふくの
唐揚げは弾力が強くいつまでも噛んでいたい。
 
1人でも居心地が良い店内でコスパに優れたふく
料理が食べれます。
 

TELL:083-235-4129
営業時間:10時00分~18時00分
休日:無休
駐車場:なし

公式HP:http://www.kawaku.com/

巌流島ーーIsland

巌流島と門司港の散策におすすめ!
トライアングル1日フリーパス¥900
 
当日限り何度でも利用できる1日乗り放題。
実際は時間がなく1回ずつしか行けませんでしたが
それでもお得です。
 
巌流島というと「宮本武蔵」と「佐々木小次郎」の
決闘の地として有名ですがーー
 
実は吉田松陰、坂本龍馬、斎藤茂吉も
アントニオ猪木など訪ねた人は数知れず
様々な歴史が刻まれている島です。
 
★TOPICS★

関門海峡に浮かぶ巌流島
1)正式名称は「船島」
 船の形に似ていることから。武蔵に敗北した。
 小次郎の流派である”巌流”から巌流島と
 呼ばれる。
2)決戦時は無人島ではなかった
 1973年(昭和48)までは島に人が住んでいた。
3)面積が現在の1/6
 決闘が行われた際の面積17,000㎡
 明治から大正にかけて埋め立て工事が行われた。
4)決闘の場にいたのは2人だけではなかった
 検視・警護の侍や医師が待機しており
 武蔵の弟子など島人も見学していた。

 
下関・唐戸桟橋から巌流島まで10分。
こんなに近いのになぜ宮本武蔵は遅れたのかーー
 
連絡船で島に向かう途中、船のデッキに出ていると
波を被ってしまいました。
関門海峡特有の波の流れに乗って遅れたのかなあ
と考えながらあっという間に10分経ち島に到着です。
 
門司港までの次の船は40分後。
天気も良いし海を眺めていたらすぐに時間
が過ぎそうです。
 
舟島神社
桟橋のすぐそばに小さな神社があります。
決闘の聖地である巌流島の神様に大勝負前
に祈願すれば勝てるかも!
 
武蔵・小次郎像
遊歩道から関門橋を眺めながら小高い丘にある
巌流島のシンボルに向かいます。
 
海峡を背景に今でも決闘しているかのよう。
躍動感あふれる岩国市の彫刻家・村重勝久氏
がデザインした像です。
 

Column

巌流島の決闘

1612年(慶長17)4月13日、長門の国船島ーー巌流島

「宮本武蔵」と「佐々木小次郎」が決闘を
した。約束は午前8時。しかし武蔵が2時間
遅れて島に到着。波打ち際で武蔵を迎えた。

小次郎は怒って鞘を投げ捨て長さ1mもある
大太刀を抜く。それを見た武蔵は
「小次郎、敗れたり」と言い放ち長い
櫂で小次郎の頭を打ち砕いた。ーー所説あり

 

Column

巌流島の決闘の真実?

半ば無理矢理武蔵が小次郎に決闘を申込む。
武蔵は遅刻しておらず、小次郎と同時刻に
島に降り立った。さらにこの時小次郎ー69歳(推定) 
武蔵ー29歳の年齢差約40。

小次郎は一対一を守り、弟子を引き連れなかっ
たが武蔵は数人の弟子を島に密かに渡らせ
物陰に潜ませていた。敗けた小次郎が蘇生
した瞬間、弟子たちが一斉に止めを刺した。

真相は闇の中だがーー

 
佐々木小次郎出身地である岩国にも銅像
があります。錦帯橋の近くで”燕返し”を編み出した
と伝わっています。
 
ビュースポットの看板が設置してあります。
ここから見える関門海峡は右手に門司港、左手
に下関の街並み、正面には本州と九州を結ぶ
関門橋が望めます。
 
巌流島文学碑
アクリル板に小次郎と武蔵の決闘場面
が焼き付けられています。
 
碑文「白い雲のわいている空に、小次郎の面影が見える…」
村上元三作『佐々木小次郎』に登場する小次郎
の恋人、兎禰(とね)の一文です。
 
1867年(慶応3)下関本陣伊藤邸に居を構えた
龍馬とその妻お龍。巌流島にこっそり渡り、花火を
打ち上げたと後年、お龍が語っています。
 
2人の結婚生活の中でお龍にとって一番幸せな
瞬間だったのかもしれません。
 
桟橋から一本の遊歩道を通り武蔵・小次郎像
までしか歩いて行けません。
それ以外は私有地になっており立入禁止になっています。

総括ーーSummary

巌流島の決闘の補足ーー
「武蔵は遅れてきたからズルい」というイメージが
強いと思いますが、そもそも”宮本武蔵”は武士
ではありません。
 
五輪書を著したように兵法家、剣術士です。
そのため、武士のような美学を持ち合わせて
いません。さらに開門海峡は小次郎の地元です。
応援も皆、小次郎びいきだったことでしょう。
敗けた小次郎の流派から巌流島と名付けた
ことからも明らかです。
 
もしかしたら武蔵が卑怯な手を使って勝負に勝った
と見物人が広めたのかもしれませんが史実が少ない
ためなんともいえません。
そもそもなぜ決闘したか、本当に決闘したのか謎
が多すぎます。
 
この後、1日フリーパスを使って門司港レトロ
のほうにも行きましたが本格的に散策開始して
いないので近い将来紹介します。
 
(次回)ーー平家滅亡の最後の地
     歴代でも屈指の不遇な天皇に参拝
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