広島(中区)ーーヒロシマから世界へ Hiroshima
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館ーーMemorial
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国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
原爆により原爆死没者の尊い生命が奪われたことを
銘記し追悼の意を表すとともに被爆関連資料、情報
の開示を目的とし永遠の平和を祈念するため
2002年8月に開館しました。
ーー2003年に長崎にも開館
平和祈念館を設計したのは広島平和記念資料館と同じ建築家”丹下健三”
原爆の災禍を世界中の人々に知らせ、歴史を学び、
その体験記を後世に継承し、平和とは何かを考える
場所です。
慰霊碑から平和記念資料館のホットスポットに含ま
れていないので気付かないで通り過ぎてしまうかも
しれません。
平和記念資料館を背にして慰霊碑の右側に位置しています。
入館無料で広島平和記念資料館から南へ2分ーー
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「8時15分」を示しているモニュメント。
水を求めて亡くなられた方々を弔うため、噴水に表
したモニュメントです。
周りの瓦礫は建設途中に発掘した被爆瓦などーー
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追卓空間をスロープで時計回りと逆に時間を遡るよ
うに地下2階へと下っていきます。
周りの音は水の流れる音しか聞こえませんーー静かに祈る場所です
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空間の壁面には約14万人(1945年12月までの死没者)
と同数のタイルを用いて広島の被爆直後の風景を表現しています。
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町名が書かれたパネルは42層重ねてあり、下段にい
くほど爆心地から近いことを示しています。
天井にあるトップライトは「希望の光」
資料館と同様に設計の工夫が随所に凝らされています。
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情報展示コーナーでは被爆者の証言・体験を紹介しています。
併せてその体験記と深い関係の遺品や資料も見ることができます。
遺影と名前を検索すると一覧が出て閲覧できる
閲覧室では自分と同じ苗字、年齢で検索してみ
るとかなりの数がヒットします。
電子データなので恒久的に保存することが可能で
約2万人が遺影を登録しています。
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被爆体験記の朗読会が毎月第3日曜日に無料で開催されます。
資料や展示物だけでは伝わらないことも実際に体験
した人の話を聞くことでまた違う考え方ができるか
もしれません。
「ヒロシマピースボランティアによる解説」
「資料館の展示解説」や「平和記念公園内の慰霊碑の解説」
は無料で参加できるので、時間に余裕があるのなら
ぜひ聞いて知って伝えていってもらいたいです。
お好み焼 長田屋ーーGourmet
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広島平和記念資料館から近い場所にある”お好み焼き”
広島のお好み焼きの美味しさを世界中の人に伝えた
いというコンセプトのとおり海外の人にも人気店
らしく店員も英語で接客しています。
宗教上の理由で豚肉が食べれない海外の方にも内容
を理解して言葉を交わしていて好感が持てます。
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観光に来た人たちにとってアクセスが良好な場所に位置しています。
そのため、連日大行列が形成されています。私は運
よく夕方の落ち着いた時間に滑り込めたのですが
真夏の昼下がりに店の外で並ぶのはかなりきつそうです(汗)
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鉄板の前に陣取ってお好み焼きの製作工程を観察。
店員さんが代わる代わる調理して一度に大量に作っ
ているためパフォーマンスを見ているようで楽しく
なります。約20分で完成ーー
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屋号の「長田屋焼」¥1,350を食べます。
具材は肉・卵・生イカ・生エビ・いか天・月見ねぎ・そばorうどん
ボリュームがあり、1枚で満腹度が満たされます。
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真ん中にある卵黄を崩すタイミングがわからなくて
最後まで取っておきました(笑)
シャキシャキのねぎと中にある具材が一体となって
バランスの良い味であっという間に完食です。
縮景園ーーGarden
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江戸時代の大名は居城の近く、または江戸屋敷に
広大な庭園を造り茶室などを建てる風潮が広まり
ました。
◆Pick up◆
縮景園
築園:1915年(大正4年)
作:上田主水正重(千利休の弟子の茶人)
◯大名庭園の先駆けとして作庭される
◯浅野長政を始祖とした浅野家が豊臣政権で功を立て広島に移封
◯広島県の名勝
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浅野家は縮景園の寄贈を申し出て、個人の財産から
県の財産になったため、広島県民へ公開されること
になりました。
広大な濯纓池(たくえいち)を中心に造成された”池泉回遊式”の庭園。
戦前は「泉邸」と呼ばれ市民から憩いの場所として親しまれていました。
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1940年(昭和15)名勝の指定を受けたわずか5年後の
1945年(昭和20)8月6日、原子爆弾の投下により
縮景園も例にもれず壊滅的な被害を受けました。
戦後、縮景園の復旧が始まったのは1949年(昭和24)のことです。
それから建造物を徐々に復元していき、1951年に
未完成のまま再開園しました。
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ー清風館ー
縮景園のほぼ中央に位置しており、数寄屋造りの屋
根は杮葺き(こけらぶき)になっています。
東側には花頭窓を設け跨虹橋(ここうきょう)を望める
代々の藩主が愛好した名亭です。
ー跨虹橋ー
濯纓池を中央で南北に結び、二分する形で地上と
天上を結んでいる縮景園を象徴する橋です。
長さ24.88m、幅1.99mの石橋は非常に堅固で画像
でも無事な通り原子爆弾の破壊も免れ、芸予地震(げいよじしん)
にも耐えた名橋です。
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ー名月亭ー
数寄屋造り、一部書院造りの様式を持っています。
月を鑑賞するための場所なため、名月亭と名付けられました。
窓枠に車輪を用いたデザインが趣向凝らしていてクール!
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池の中にはカメや鯉がいて手を出すとエサだと思って寄ってきます。
ーーカミツキガメだったらアウトでした
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ー慰霊碑ー
原爆犠牲者の遺骨の発掘の際、この地に埋葬された
戦没者64体もの遺骨が発見されました。
その後、遺骨は平和記念公園の原爆共養搭に納骨さ
れています。
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ー悠々亭ー
茅葺の四阿(あずまや)という様式。池を眺めながら
休憩所として利用できます。
古くは歌会や茶会などで使用されていました。
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江戸文化が残る緑豊かな庭園は広島市内の中心に位
置しているため平和記念公園からのアクセスも容易
です。
資料館や祈念館など平和祈念公園内で感じた思い
考えなどの様々な渦巻いた感情をリセットし
落ち着ける場所として重宝します。
所在地:広島県広島市中区上町2番11号
TEL:082-221-3620
開園時間:9時00分~18時00分(4月~9月)
9時00分~17時00分(10月~3月)
休園日:12月29日~12月31日
入館料:一般¥260、高・大学生¥150
小・中学生¥100
世界平和記念聖堂ーーCathedral
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◆Pick up◆
世界平和記念聖堂
建築年:1954年(昭和29年)
構造:三廊式教会堂、鉄筋コンクリート造3階建、地下1階
設計:村野藤吾
◯2006年(平成18年)に重要文化財に指定
◯明治時代には「幟町天主公教会」と呼ばれていた
世界平和記念聖堂は原爆犠牲者を弔い、世界平和を祈る聖堂。
被爆者である”ラサール神父”が焼け野原となった地に
再建した教会堂です。
設計者は丹下健三と共に昭和を代表する巨匠
”村野藤吾”
国宝・迎賓館本館(旧赤坂離宮)の改修の設計をした建築家です。
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コンクリートの枠組みにブロックを埋め込んだ日本
伝統の「真壁」を用いたシンプルでいて陰影の演出
素材の質感、ファサードなどの特徴が飽きさせ
ない建築です。
高さ45mの鐘塔の中には鐘が吊るされており
開口部を多く設けることによって平和への祈り
を広島市街に届けています。東方を内陣とした
三廊式バシリカ会堂です。
戦後復興建築の先駆的建築で新しい時代に対応した
村野藤吾ならではの建築ということで評価されて
います。
ーー残念ながら耐震改修工事中で入れなかったので画像は外観だけです
所在地:広島県広島市中区幟町4-42
TEL:082-221-0621
入堂時間:9時00分~17時00分
休館日:ー
入館料:ー
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
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広島拘置所の壁画は1989年(平成元年)広島城400年
を記念して企画されました。
広島拘置所がかつて広島城郭内武家屋敷の位置に
あたることにちなんで江戸時代の町の様子を描かれました。
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製作は広島市在住の”入野忠芳”浮世絵を思わせる巨大
なキャンバスに描かれた絵のタッチは圧巻です。
総括ーーSummary
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/12/DSC00705.jpg)
長いですが”平和宣言”を読んでみてください。
私たちに何ができるのかーー
せいぜい折り鶴を折って災禍を忘れないことくらい
しか考えていませんでした。
高齢化により戦争体験のない世代が多くを占めて
いる今原爆の悲惨さを伝える人がどんどん少なく
なってきています。
SNSが発達している現代、いくらでも情報を発信
することができます。
もちろん身近な人ーー親、子ども、恋人、友人と
戦争について平和について語り合うことがベストです。
そうやってより多くの人に広島に興味を持って来て
もらって広める伝道師のような役割を増やすことが
今を生きている私たちの最低限のミッション(責務)
だと考えます。
ひいては東日本大震災での被災、これから未来、起
こるであろう自然災害によって被災した方への支援
受け入れる環境が容易に整うような国家も夢ではありません。
(次回) ーー広島流お好み焼の起源を辿る名物グルメ巡り