熊本のシンボルーー熊本城
築城の名手、加藤清正が築いた名城。
震災の影響で立ち入れなくとも熊本県で一番に
訪れたかったスポットだったのですがーー
台風が近づいているニュースを見て天気の良い
うちに阿蘇山のほうを観光しようと考え、進路
を変更することにしました。
菊池ーー田園文化のまち Kikuchi
有朋の里 泗水孔子公園ーーPark
どこかな?ここはーー
田園地帯を走っていたら、いきなり異国情緒漂う
建物が姿を現し、思わず車を停めました。
道の駅は広い駐車場を有しており無料で公園内に
入れることも魅力です。
新鮮な地元の野菜が売ってあり、惣菜、弁当、団子
など種類豊富です。
「道の駅泗水養生市場」に隣接している中国の
極彩色に彩られた本格的な宮廷建築。
中国から建築士をこの地に呼び、中国古来の宮廷
建築様式を忠実に再現しています。
回廊は綺麗に整備されていて装飾が非常に繊細で
クオリティが高いです。
なぜこの地に孔子の名を冠する公園があるのかーー
1889年(明治22)市制・町村制が公布され、各地で
市町村の名前を決めることになりました。
この近辺は熊本県の北部に位置する菊池郡に属して
いた”合志(こうし)”という地域であり、さらに孔子
を尊敬していた初代村長が孔子の誕生の地中国の
山東省泗水県に因み4つの川が合流する地という
ことで泗水村になったようです。
泗水孔子公園は、この地に「泗水町」という名が
付けられてから100年を記念して建設され
1922年(平成4年)に完成したものです。
公園の中心に位置する祀聖亭(しせいてい)では
孔子像が鎮座しています。
中国泗水県から取り寄せた6億年前の石から刻んだ
という高さ3mの孔子像。
ーー本格的すぎる…
公園内は見て楽しむだけでなく、足つぼを刺激する
小石や健康器具が設置されています。
ジョギングや犬の散歩をしている人が多く、市民の
憩いの場所になっています。
園内の案内板には孔子の教えの八徳=人として
守るべき八つの行いが書かれています。
儒教における八徳
孝ーー心配かけず親孝行すること。
悌ーー兄弟仲良くして助け合うこと。
忠ーー正しいまっすぐの心、自分にも、嘘の
ない真心を持つ事。
信ーー人に対してうそのない真心を持つ事。
禮ーー礼儀正しくすること
義ーー正しい行いをして、悪い事をしない事。
廉ーー欲張って物を欲しがる事をせず、きれい
な心でいる事。
恥ーー恥ずかしい行いをせず、正しく進む事。
南総里見八犬伝でおなじみ。
物語に登場する八犬士は仁義礼智忠信孝悌
の8つの徳を持って活躍します。
中国の歴史資料や孔子関係の書物が展示している
資料館も併設されているので詳しく知りたい方は
立ち寄りましょう。
道の駅 七城メロンドームーーStation
熊本の特産物といえばメロン。
火山灰を基盤とする肥沃な土地の土壌で作られる
完熟メロンは糖度が高く、菊池市は熊本を代表する
メロンの産地です。
七城町の由来は、肥後国菊池氏の十八外城のうち
七城がこの町にあったことから七城町と名づけら
れました。
泗水孔子公園から少し車を走らせるとメロンの形
を模した道の駅が見えてきます。
メロンの試食ができるため、メロンを贈答する際に
は一番美味しいメロンを品定めできます。
私が訪れたときは時間帯が悪かったのか、昼過ぎ
には試食するものが何もありませんでした(泣)
道の駅内で営業する「とりで農園」
道の駅ソフトクリームで熊本1位に輝いたお店です。
これはぜひとも味わっていかないといけません(喜)
「青メロンソフトクリーム」¥380
芳醇な香りに重すぎず、さっぱりとした後味に
つい一口、もう一口とあっという間に完食して
しまいます。
冷凍したメロン果肉をそのまま牛乳アイスと一緒
に混ぜる作り方のため、メロンの甘みがダイレクト
に感じることができます。
七城町の果汁を使ったメロンパンも欠かすことは
できません。
外側はビスケット生地で中はふわふわ甘いメロン
の風味が絶品です。
道の駅に認定される前からメロンドームとして
賑わってきた施設。
阿蘇や菊池へのドライブの際は是非立ち寄りたい
道の駅です。
住所:熊本県菊池市七城町岡田306
TELL:0968-25-5757
営業時間:9時00分~18時00分
定休日:不定休
入場料:無料
アルバイトーーPart time job
※画像はイメージです
山奥にある大規模な工場。
中も広く、クリーンで衛生環境が良く食品工場に
つきものの臭いもあまりしません。
単発派遣にも社員の人が丁寧に教えてくれます。
弁当のライン生産だけでなく、食材のカットや軽量
運搬など仕事内容がコロコロ変わるため、飽き性の
私にはとてもやりがいを感じられて頑張れます。
山鹿ーー温もりのまち Yamaga
鞠智城跡ーーRuins
古代山城は西日本各地に分布しています。
特に北部九州、大宰府近辺に多く築城されています。
このことから当時の大和朝廷が九州の防衛を非常
に重要視していたことがわかります。
◆Pick up◆
鞠智城
築造年:不明
築造主:不明
規模:外周部ーー約3.5km
=55.000㎡=東京ドーム1.18個分
◯国防の最前線を支えた古代山城
◯2017年(平成29)続日本100名城に選定
◯2004年(平成14)国指定史跡に指定
城のある米原台地は標高約90~171m
大宰府までは直線距離で約62km南方に位置する
交通の要所でした。
自然地形の崖を含めて土塁と土塁の城壁で囲まれて
いた天然の要塞。
平成3年度の調査によって八角形建物が南北に2棟
発見され、南側を「鼓楼」として復元しました。
掘立柱建物で八角形に配列された側柱が心柱を軸
として3重に巡ります。
高さ15.8mの三層造り、県産材のヒノキとスギを
使用し、瓦葺き屋根で頂部には宝珠を飾っています。
隣の建物は周辺から炭化米が大量に出土したこと
から「米蔵」として復元しました。
思ったより広大すぎて、時間の都合上一部分しか
周れませんでしたが兵舎や防人たちの生活の場
貯水池跡などそれぞれの用途に分けられ興味深い
ものが発掘調査によって見つかっています。
温故創生館は無料で入館できます。
出土遺物、復元模型、古代古城の成り立ちなどが
展示品や模型でわかりやすく解説しています。
総括ーーSummary
なぜ、こんな場所にこれほどの規模のお城を築いた
のかーー
鞠智城は7世紀後半、約1,300年前に大和朝廷に
よって築かれた山城です。
日本は友好国であった百済を復興するため、援軍
を送りましたが、663年の”白村江の戦い”で唐と
新羅の連合軍に敗北しました。
そのため、日本が戦場になる危険性が生じました。
そこで大和朝廷は太宰府を守るために大野城・基肄
城など九州の各地に山城を築きました。
鞠智城はこれらの城に食糧や武器、兵士を補給する
支援基地として都合の良いこの地につくられました。
(次回)ーー展望所からパッチワークを描く田畑を望む