島原ーー鯉の泳ぐまち Simabara
島原城ーーCastle
島原・天草一揆を語る上で、もうひとつ重要な戦場
の歴史を紹介していきます。
キリシタン関連遺跡ではありませんが、領主の松倉
氏が分不相応な城を建てるために圧政を敷いた一揆
のきっかけであり、一揆軍の猛攻に耐えた堅固な
造りーー島原城
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03186-cc46a.jpg)
武家屋敷に近い場所に無料で広い観光用の駐車場
が解放されています。
利用時間が8時50分~17時30分のためそれまでに
戻るようにしましょう。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03188-e75b8.jpg)
駐車場の隣には”心字池”
明治18年頃、この地に住んでいた山本氏が豊富な
湧水を利用し、かたどって造った池です。山側から
見ると「心」の字に見えます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03194.jpg)
立派な石垣が見えます。苔むした城壁と白亜の
天守閣の対比が素晴らしいです。
破風を設けないため、比較的スッキリとしたデザイ
ンですが近くで見上げるとその圧倒的な存在感に
魅せられます。
石垣と堀は江戸時代から残っており、びっしり茂る
蓮池には農家がレンコンを栽培しています。秋には
レンコン掘り大会が開催されます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03197.jpg)
島原城が建っている地は有馬晴信が本陣を構えて
龍造寺隆信を撃破した場所です。
幕府の命により、五条(奈良県)から入封した築城の
名手、松倉重政が島原城を築きました。
4万石の大名には過剰すぎる立派なお城です。
戦国時代の天草・島原地方は、有馬晴信・小西行長
といったキリシタン大名が領主を務めていたため
領民の多くがキリスタン信者でした。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03217-ef161.jpg)
島原城の規模は膨大で工事はそれぞれの工区と工期
を決め、期限より遅ければ罰せられ、早ければ賞を
与えられました。この絵は工事状況を一画面に
現したものです。
1日300~500人を作業に従事させて7年と3ヶ月で完成。
その間、領民の経済的な重圧は計り知れません。
特に税の摂取はあらゆるものに課税をして税金を搾
り取り農民たちの中には餓死者が出るほどでした。
島原の乱が起きたのは城の完成から13年目の事で
江戸幕府の領民に対する過酷な税の搾取と、キリス
ト教弾圧に対し、民衆の怒りが爆発したために起き
たといわれています。
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◆Pick up◆
島原城 別名:森岳城、高来城
築造年:1618年(元和4)~1624年(寛永元年)
築造主:松倉重政
構造:城郭ー連郭式平城
天守ー独立式層塔型5重5階(1964年RC造復興)
独立式層塔型4重5階(非現存)
◯火山灰や溶岩流からなる地盤の工事は困難を極めた
◯1871年(明治3)廃城
◯1964年(昭和39)天守閣が復元するなど昔の面影を取り戻す
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03219-15201.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03224.jpg)
1階はキリシタン資料館。
刃を閉じるとクロス(十字架)が現れるはさみ
マリア観音などかくれキリシタンの資料が数多く
展示されています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03222.jpg)
特に目を奪われた展示品は”雲仙地獄の殉教図”
です。地獄責めと呼ばれ、その悲惨さは
ヨーロッパの人々に大きな衝撃を与えました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03233.jpg)
島原の乱の城攻防図はまさに四面楚歌。
海外からの援軍を期待せざるを得なくなる状況の
中、毎日水平線を眺めていたことでしょう。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03236.jpg)
信仰の中心として籠城中にも掲げられていた
”天草四郎陣中旗”聖餅と聖杯を2体の天使が拝み
上部には「いと尊き秘蹟ほめ尊まれ給え」
とポルトガル語で描かれています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03259.jpg)
5階は天守閣で展望所になっていて島原市内や
美しい眉山が眺められます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03257.jpg)
天気は微妙でしたが海の向こうには熊本の山々
が広がっている様子をかろうじて観察できました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03271.jpg)
ー西望記念館(巽の櫓)ー
日本彫塑会の巨匠で文化勲章を受章した
郷土出身の芸術家ーー北村西望
特に長崎平和祈念像の作者として広く名前が知れ
渡っています。この地にアトリエを建て北村氏の
代表作60点を展示されています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03276-a5dee.jpg)
平和像の顔はデッサンを何百と描き直し、苦心を
重ねた末、じっと目をつぶりきびしくもやさしい
表情の男の顔が完成しました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03280.jpg)
構想的試作のひとつの立ちポーズです。
立像ではバランスが悪く、重量感に乏しいという
ことで現在のような座像になりました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03291.jpg)
ー民具資料館(丑寅の櫓)ー
市民から寄付された明治から昭和までの暮らしの
民具の数々が展示されています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03300.jpg)
現在、島原半島で発見されたキリシタン墓碑は
約120基あります。中央に干十字が刻まれている
ものや蒲鉾形、箱型、平型など色んな形の墓碑が
あります。
住所:長崎県雲仙市愛野町乙愛津5864
TELL:0957-36-2000
開館時間:8時30分~17時30分
定休日:年中無休
入館料:無料
姫松屋 本店ーーGourmet
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03315-b1c2b.jpg)
島原城のお膝元に店を構えているので迷わないで
辿り着けます。
ミシュランガイドにも掲載されていて島原に観光
に来た人はこの有名店に訪れるため土日祝はかなり混雑します。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03311-21efd.jpg)
島原の乱のとき、一揆軍の総大将天草四郎は
籠城の際に三万七千信者や農民たちにもちを兵糧
として貯えさせ山や海から色々な材料を集めて
雑煮を炊き、栄養をとり約3ヶ月も戦ったと言われています。
この逸話をもとに文化10年初代糀屋善衛エ門が
味付し島原の郷土料理として”具雑煮”を生み出しました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03313-3a970.jpg)
「具雑煮(並)」¥980
お雑煮と似てますが、さっぱりとした重厚な具材
の一つ一つに味が染みわたり、ヘルシーながら
満足感が高いです。特に出汁は何を組合わせた
のか気になります。
島原の乱時にはこれよりもっと具材が少なく味付
けも薄く、質素だったと思うので籠城してた人たち
にも食べてもらいたかったと感じました。お正月と
言わず、定期的に食べたい味です。
鯉の泳ぐまちーーTown
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03340.jpg)
島原市は火山の恩恵により、古来から湧水に恵まれ
「水の都」と称されるくらい湧き水が豊富です。
市内には約60ケ所の湧水ポイントがあり
「日本名水百選」に登録されています。
ーー1日に約22万トン湧いているそうです
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03346-df874.jpg)
昔と変わらない景観で水路が張り巡らされた城下町
は地元住民によって綺麗に保たれた水質に鮮やかな
模様の鯉が元気に泳ぎ回っています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03371-6effa.jpg)
水路を生かしたまちづくりと、子どもたちの豊かな
心を育てるために昭和53年7月水路に鯉を放流した
ことが始まりです。
その後、多くの市民が協力し、今では水の都、島原
を代表する名所となっています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03320-cf203.jpg)
ー耳洗公園(じせんこうえん)ー
昔お茶どころだったといわれ、ここから湧き出る
清水でお茶をたてて白土湖と清水を眺めていた
憩いの場であったそうです。
ここを訪れる人々は「世の中のいやなことわずらわ
しいことの全てが清い水で洗い流される」として
”耳洗亭”とよんでいました。
島原カトリック教会
1997年(平成9)白土湖そばにドーム型の教会が建て
られました。
敷地内には天正遣欧使節の一人で、最後まで九州
の信徒を訪問し続けた中浦ジュリアン神父像が
あります。
なんとなくわかるーー中浦ジュリアン
Nakaura Julian(1568-1633)
ローマに行った4人の使節の一人。
一番凡庸で特に目立ったとこのない少年
なぜこの道を選び、自らの命をかけたのかーー
1568年(安政元年)長崎西海町中浦に誕生。
創設された有馬のセミナリヨ(小神学校)の
一期生として入学。
⇩
1582年(天正10)伊藤マンショ、千々和ミゲル
原マルチノと共に天正少年使節として渡欧。
ーー本能寺の変があった年
ーーイエズス会のアレッサンドロ・ヴァリ
ニャーノが随行。日本の布教事業の立て
直しと、司祭育成を目的
渡欧先のエピソード
・舞踏会の時は、ジュリアンは緊張のあまり
思わず誘った相手が老婦人だったという。
・ローマ法王とに謁見の数日前に発熱するが
無理して謁見の場へ行くが、途中で具合が悪
くなり、退出。
⇩
1590年(天正18)聚楽第で豊臣秀吉に謁見し
ヨーロッパ文化を紹介。
ーー秀吉は少年らを気に入り、仕官を勧めたが
バテレン追放令の流れにより、全員それを
断る
⇩
司祭になるため、天草とマカオのコレジヨ(大神
学校)で学び1608年(慶長13)マンショ、マルチ
ノと共に長崎で司祭に叔階
ーー41歳のとき
⇩
1614年(慶長19)徳川幕府のキリシタンの国外
追放令が出され、マルチノがマカオへ追放。
ジュリアンは厳しい弾圧の中潜伏しながら
信者を励まし続けるがついには島原半島の
最後の牧者として歩き続けた。
ーーミゲル棄教、マンショ病死、
ーー毎年天草、八代、柳川、小倉の教会を巡回
⇩
1632年小倉で捕縛。長崎西坂の丘にて穴吊りの
刑により64歳で殉教。亡骸は灰にされ、長崎湾
内に投棄された。
ーー「私はローマに赴いた中浦神父です」と
自ら告白
最後の言葉「この大きな苦しみは神への愛の
ために」
2007年(平成19年)天正遣欧少年使節の一員で
初めて福者に列するーー
ドーム状の空間を生かした聖堂内は整然として
いて、天草四郎陣中旗や踏み絵マリア像が展示
されています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03328-169b7.jpg)
ステンドグラスは島原半島の天正遣欧使節や
二十六聖人殉教、雲仙でのキリスタン弾圧など
苦難の歴史を物語っています。
四明荘
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03348-3f900.jpg)
禅僧を招いて作庭されたという庭園でこんこんと
湧き出る島原湧水と日本建築のコラボレーション。
平成26年には登録有名文化財に指定されました。
明治後期に伊東元三氏が別邸として建築。
四方の眺望に優れていることから「四明荘」
と名付けられました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/E59B9BE6988EE88D98-1.jpg)
特に庭園は絵画の一枚を切り取ったかのような情景
で訪れる人で列が途切れません。
座敷でお茶も頂けるおもてなしの心が嬉しいですね。
私は訪れるのを忘れていたため、公式サイトから
庭園の写真を引用しました(汗)
住所:長崎県島原市新町二丁目
TELL:0957-63-1121
開館時間:9時00分~18時00分
定休日:なし
入館料:大人¥310 小人¥150 未就学児無料
しまばら湧水館
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03343-16f1f.jpg)
木造瓦葺平屋無料の休憩所。
館内では島原名物の和スイーツ”かんざらし”
の手作り体験もできます。親子連れに人気で非常に賑わいます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03358.jpg)
忍者屋敷みたいになっていて昭和の時代をより快適
な生活を送るための仕掛けが満載です。
スタッフの人に部屋の案内をしてもらって大いに楽
しめました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03366.jpg)
押入れを閉めると仏壇が隠れ、瞬く間に客間に
変化し、一部屋儲けたかんじがします。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03352.jpg)
溝の長さが異なり、3枚の襖がずれることがなく
また、掃除もしやすく、見た目にも拘った機能美
と造形美を併せ持ちます。
こだわりの趣のある家具や置物は見応えがあり昔の
ガラスのゆがみなど一つ一つのこだわりを感じる家です。
住所:長崎県島原市新町2-122
TELL:0957-62-8102
開館時間:9時00分~17時00分
定休日:なし
入館料:無料
茶房しまばら水屋敷
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03375-87ccb.jpg)
店主の祖母の家だった明治時代の和洋折衷の屋敷
をリノベーションして民芸喫茶店として活用して
います。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03381-02684.jpg)
2階を覗いてみるとたくさんの招き猫が置いてあります。
1階にも招き猫。福を呼ぶ縁起物はいくつあっても
良いものですね。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03383.jpg)
「かんざらし」¥324
先にカウンターで注文して運んでもらう形式です。
池をぼーと眺めながら水飴を溶かしたような
あまーいかんざらしを楽しむ。実に風流です。
時間の流れがゆっくり流れているかのようです。
住所:長崎県島原市万町513
TELL:0957-62-8555
開館時間:11時00分~16時30分
定休日:不定休
駐車場:無
総括ーーSummary
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC03344-47835.jpg)
見てわかるとおり、島原城は大きくて綺麗な立派な
お城です。築城時の過酷な労働が島原の乱の引き金
になったとありますが、実際訪れてみて納得がいきました。
一揆の元凶である島原藩主松倉重政は島原城新築や
年貢の過重な取り立てといった圧政を敷きました。
それを受け継いだ松倉勝家も同じような
政治を行い江戸時代に大名として唯一の斬首に処さ
れる。
松倉重政は長崎ではキリシタンや年貢を収められ
ない農民たちに対する拷問や処刑などを行った
嫌われ者。
しかし、奈良では善政を敷き、平成には市民の手に
より顕彰碑が建立されています。
人とは一面性だけでは語ることはできませんが
それにしても人が変わったかのような豹変振り
です。
松倉重政1600年(慶長5)関ヶ原の戦いの功績を認め
られ、一万石の大名として二見城に入城。
五條の地を統治したのはわずか8年と短期間でしたが
商人をまちに招き入れるため「諸役免許」といった
政策などで、商業と宿場の町、交通の要として
「五條新町」の礎をつくりました。
徳川幕府のご機嫌取りに躍起になるあまり結果
人民の掌握をおろそかにしてしまいました。
島原のその後の徳川譜代による善政を見ると能力
が高いだけでは統治はできないことを痛感させられ
ました。
(次回)ーー九州で太宰府天満宮に次ぐ参詣者を誇る神社