![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00442.jpg)
明治維新150周年の看板が掲げられています。
なんとか暗くなる前に萩入りを果たせたみたい
です。
ーー意外と歴史が浅い!?
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00432-48eaa.jpg)
「道の駅 萩往還」にて小休憩。
店はすでに閉まっていました。
吉田松陰や高杉晋作など萩出身の英傑
たちの銅像が並んでいます。
萩ーー英雄たちが闊歩していた町 Hagi
萩城下町(旧上級武家地)ーーTown
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/E890A9.jpg)
山口県で一番楽しみだった”萩”
この地からどうやって歴史の表舞台に立ったのか
時代を切り開いたのかーー
じっくり、ねっとり、まるっと紹介していきます。
ーーただの趣味ですが(笑)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00561.jpg)
昔から変わらない町並みのため駐車場の確保
が大変です。ちょうど萩の中心地にショッピング
モールがあるのでそこに停めてチャリで散策開始です。
九州、山口を中心に進められた日本の近代化は
西洋先進諸国からの積極的な技術導入によって
「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に
登録されました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00486.jpg)
鎖国状態にあった日本は約50年間という短い期間
で飛躍的な経済的発展を遂げました。
産業遺産群はその歴史上の重要な段階を物語る上
で欠かせないということを評価され2015年に文化遺産に登録されました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00615-4a740.jpg)
この中の萩反射炉、萩城下町、松下村塾
3つの資産を紹介したいと思います。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00460.jpg)
ー久坂玄瑞誕生地ー
町を歩いているといきなり大物に出会えました。
久坂玄瑞ーー
坂本龍馬と深く関係する人物です。
なんとなくわかる久坂玄瑞
イケメンで高身長でインテリで美声、羽振り
が良い天は二物も三物も与えた短すぎる生涯
を奔走した長州一のモテ男
1840年(天保11)萩の地に生まれる
ーー萩藩医の久坂良廸。25石で家格はあまり
高くない
⇩
15歳で天涯孤独の身に、久坂家当主となり医者
となり久坂玄瑞(くさかげんすい)と名を改めた。
⇩
成績優秀のため寮生になり、藩に願い出て九州
に遊学。手紙で論破され、思想に共感した
吉田松陰に弟子入り
ーー高杉晋作と共に松下村塾の双璧と称された
⇩
安政の大獄により吉田松陰が処刑された後
尊王攘夷の先頭に立ち、精力的に活動。
ーー英国公使館焼討、下関外国宣砲撃に参加
⇩
1864年(元治元年)禁門の変(蛤御門の変)に敗れ自刃。享年25
1862年(文久2)坂本龍馬は土佐勤王党武市瑞山
の手紙を久坂玄瑞に届けるため
萩へ訪れました。
萩に9日間滞在している間、久坂玄瑞は師である
吉田松陰の草奔崛起論を説きました。
その年、龍馬は土佐を脱藩。薩長同盟、大政奉還
など大業を成し遂げました。
この出会いがなければ日本の近代化が遅れ
独立が危惧されたかもしれませんーー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00470.jpg)
ー旧児玉家長屋ー
萩城三の丸平安古総門に隣接していた
建物は木造平屋建て、桟瓦葺き、入母屋造り。
なまこ壁が特徴的で「国選定重要伝統的建造物保存
地区内」に含まれています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00485.jpg)
ー旧周布家長屋門ー
藩政時代は大組士の筆頭として
1,530石余の知行地を長門市渋木に領していま
した。
外観は腰部を下見板張りとし、基礎に切石積み。
上部は白漆喰大壁造の江戸中期の代表的な武家
屋敷長屋の様式を残しています。
萩城址ーーCastle
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00475-37be4.jpg)
萩城には総門が3か所あり、大手3つの門と
呼ばれていました。そのうちの一つ、北の総門は
「萩開府400年」を記念して復元されました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00492-6f60f.jpg)
◆Pick up◆
萩城址 別名:指月城(しづきじょう)
築城年:1604年(慶長9)
築城主:毛利輝元
構造:城郭ー梯郭式平山城 天守ー複合式望楼型5層5階
◯国指定史跡
◯非現存天守閣(廃城令により櫓など他の建物と共に破却)
◯日本100名城
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00495-e2d27.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00513.jpg)
姫路城と同じく本丸を中心に置かない
梯郭式(ていかくしき)のため本丸門から天守台
が見えます。
同じ場所から撮りました。
写真からは立派な天守閣が建っていたことが
わかります。奥まっていて城下町からは
見えなかったそうです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00517-1300e.jpg)
背後には指月山、周囲には石垣と内堀から見て
城攻めは不可能っぽい。
天守台の上には礎石が残っています。
晴れてればもっとよかったんですがねー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00505-64000.jpg)
ー志都岐山神社ー
本丸門から真っ直ぐ奥に行ったところにあります。
神社の各所に毛利家の一文字三星家紋があしらって
いて拝殿の奥に本殿と続きます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00507-92cbd.jpg)
祭神は毛利元就・隆元・輝元・敬親・元徳
の5柱。その他に初代から12代までの萩藩主
が祀られています。
1882年(明治15)に指月神社→志都岐山神社
と称されました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00511-480ad.jpg)
ー花江茶亭ー
藩主居館の奥書院の位置にあたり
元藩主・毛利敬親別邸にあった茶室を
移築したものです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00523-6d0d7.jpg)
展望所から菊ヶ浜を眺めると
ここから激動の時代を見据えていたのか
と往時から変わることのない景色を楽しめます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00526-16d96.jpg)
ー北矢倉跡ー
海岸線沿いにぐるっと島の裏側まで来ました。
荒波にも負けずに遺構が残っています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00531-85fed.jpg)
なんとなくわかる毛利輝元
西国の覇者ー毛利元就の孫。
毛利家を生き延びさせ、手腕が光る領地経営。
1553年(天文22)毛利高元の長男として誕生
ーー現在の広島県安芸高田市
⇩
1563年(永禄6)家督を継ぎ、祖父の元就に養育される。
ーー英才教育
⇩
織田信長や豊臣秀吉と覇権を争い、1589年(天正17)広島に居城を築く。
ーー中国地方8か国112万石を領有する大大名
⇩
豊臣政権五大老の一人となり、関ケ原の戦いでは西軍総大将を務めた。
ーー戦で敗れ、周防・長門2か国36万9千石に削封される
⇩
1604年(慶長9)居城を萩に移し、城下町の建設を推し進める
ーー1625年(寛永2)73歳で没し、萩城三の丸の天樹院に埋葬
南門跡には毛利輝元像が鎮座しています。
眼光鋭く威厳があります。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00534-073f5.jpg)
ー旧厚狭毛利家萩屋敷長屋ー
南門跡近くにある重要文化財で現在萩に残っている
武家屋敷の中で最大の大きさを誇ります。
萩城址の入園料にこちらの料金が含まれているため
せっかくなら合わせて訪問しましょう。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00540.jpg)
厚狭毛利家は毛利氏の一門で厚狭(現山陽町)で知行地
を持っていたことからこのように呼ばれていました。
1856年(安政3)に建てられたもので桁行51.5m
梁間5mの構造です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00541.jpg)
屋根は入母屋造、本瓦葺。南側は庇構桟瓦葺
妻飾りは木連格子。南に向かって濡れ縁を
設け開放的に作られています。
萩毛利家との繋がりやあの有名な「三本の矢」に
関する逸話が残されています。
Column
三矢の訓
毛利元就が嫡男隆元と吉川・小早川家を相続
した元春・隆景の三人に向けた三子教訓状
をもとに作られた逸話。
一本の矢なら簡単に折れるが3本まとめて束に
すれば折れない。
それと同様に三人が力を合わせ、兄弟や一族の
結束は誰にも負けることがないと諭したと伝承されている。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00547-ac2dd.jpg)
リアルな萩城の模型が一番奥の部屋に
置かれています。
萩城を一回周っただけでは見えない部分が多く
模型を観察することで全体像が掴めました。
萩博物館ーーMuseum
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00635-aba09.jpg)
私が訪れたときには特別展「深海大行進」を
開催していました。
萩はリュウグウノツカイなど深海魚が発見
されてきた有数の地です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00644-c622b.jpg)
ーユメザメ(夢鮫)ー
名称:Centroscymnus owstonii
分類:ツノザメ目オンデンザメ科
生息地:太平洋の西部・南東部、大西洋
由来:目を閉じる様が夢をみているかのよう
特徴:水深100m~1500mの海底近くに
生息し、イカやタコなど魚類を捕食。
深海ザメの一種。普通の魚は目を閉じませんが
この深海魚だけは瞬きします。
約300種、約3,000点という日本最大級
数量の深海魚を公開しています。
館内はフラッシュ禁止ですが撮影OK!
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00654.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00658-04189.jpg)
透明骨格標本が綺麗に並べられています。
ガチャガチャにも進出しているので集めて
飾っておきたいです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00691-c7b1c.jpg)
ーミズウオ(水魚)ー
名称:Alepisaurus ferox
分類:ヒメ目ミズウオ科
生息地:北太平洋、インド洋、大西洋、地中海
由来:水分と脂肪分が多く、煮たり焼いたり
すると溶ける
特徴:水深900m~1500mの海底近くに
生息し、獰猛な肉食で大きな口と牙で
ほかの生物を丸呑みにする。
深海のプレデターと称されるミズウオ
ーー彼岸島の魚人型邪鬼に似てますね
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00701.jpg)
ーリュウグウノツカイ(竜宮の使い)ー
名称:Regalecus glesne
分類:アカマンボウ目リュウグウノツカイ科
生息地:太平洋、日本海
由来:竜宮城からやって来たかのような外見
特徴:水深200m~1000mの中層。
(最大11m・272kg)世界一長い硬骨魚
の種である。神話上の怪物に例えられ
食感は水っぽく刺身に向かない。
2つの白い巨塔リュウグウノツカイタワー。
3mを超える垂直に立てた日本唯一の標本です。
水族館と違い、趣向を凝らした深海魚
の展示は希少価値が高く新鮮で見応えがあります。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00708-7050e.jpg)
続いて無料ゾーンの展示室へーー
参勤交代の道のりの過酷さを表しています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00713-4f1b9.jpg)
吉田松陰を中心とした人物相関図。
わかりやすく図解で解説してあり、楽しく歴史を
学べます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00722-201a8.jpg)
渡り廊下は萩ゆかりの人物の説明がパネルに
なっていて思わず足を止め、説明文を読んじゃいます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00732-c8e44.jpg)
高杉晋作資料室には高杉晋作を象徴する
三味線。分解できて胴に収納できる携帯用に
改造してあるそうです。
ーー粋な遊び心を感じます
戦利品ーーSENRI-HIN
Booty
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00740-b7459.jpg)
明治維新150年を記念して作られたピンバッジ
です。菱形は萩独自の景観を作り出している
なまこ壁をイメージし、赤は情熱、青は知性
緑は若さを表しています。
住所:山口県萩市堀内355
TELL:0838-25-6447
拝観時間:9時00分~17時00分
定休日:6月第2水曜日、1月第4水曜日
入館料:大人¥510 高・大学生¥310 小・中学生¥100
総括ーーSummary
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/DSC00706-64ef1.jpg)
江戸時代の美しい町並みを求めて年々観光客
は増加しています。
萩は江戸時代までは人があまり住んでいない
不毛の地でした。
地盤も三角州で町づくりに適さない
強固ではないこの地になぜ萩城を築いたのかーー
その秘密は地形にあります。
海に面した部分では日本海からの風によって
運ばれた砂丘がやがて頑丈な高地を形成していきました。
そこに居を構えたことで現在まで風化せずに
崩れることもなく存在してきました。
(次回)ーー武家屋敷、なまこ壁、鍵曲の残る
世界遺産の町筋を歩く