佐世保ーー海風の国 Sasebo
黒島の集落ーーVillage
前々から隠れキリシタンに興味があったので
江戸時代に迫害を避けるため、大勢の信徒が
渡ってきた”黒島”巡りしてきました。
天主堂を含む黒島の集落は
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
として“世界文化遺産”に登録されています。
潜伏キリシタンの信仰継続にかかわる伝統の証と
なる遺産群が数多く残っているので長崎では
どっぷりキリシタン色強めでお送りしていきます!
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01690.jpg)
駐車場は「食彩の里よかばい相浦」に停めます。
黒島・高島観光客用の臨時駐車場になっているので
奥から停めましょう。
季節の野菜やお土産が並んでいて
道の駅的な立ち位置として地元民や観光客
で賑わっています。
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a.m.9:51ーー黒島旅客船相浦待合所
相浦港から定期的に黒島行きのフェリーが出航
しています。
今回は10時出航のフェリーを利用しました。
相浦~黒島往復¥1,390 所要時間約50分
チャリを持ち込んだのですけど、島内は坂だらけで
あまり活用することができませんでした(泣)
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a.m.10:05ーー九十九島
九十九島を縫うようにフェリーが進んでいき
途中、高島に寄ってから黒島に向かいます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01551.jpg)
九十九はたくさんあるという表現で使われており
実際には208の島々が点在している島の密度
日本一の密集地です。
そのうちのほぼ全てが無人島ですが、黒島、高島
前島、鼕泊(とうどまり)島の4つは人が暮らして
います。
その中でも島の全域が国の重要文化景観に選定
された最も大きな島が黒島です。
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Column
祈りの島、黒島
◆周囲約12km、南北3.4km、東西6km
◆208の九十九島になかで最も大きい島
◆人口の約80%がカトリック信仰
◆黒島の名の起こりは十字架の「クルス」説
海から見ると島全体が樹木に覆われて黒く見える説
ーー13世紀には平戸松浦氏の領地として
「黒島」と呼ばれていた
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01674-f9b0d.jpg)
a.m.10:57ーーウェルカムハウス
観光情報やレンタサイクルの貸し出しも行っている
拠点となる場所です。
島にはバスもタクシーも走っていないのでゆっくり
歩いて周るのもいいですねーー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01677.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01675-de67c.jpg)
観光雑誌が置いてあるのでフェリーが来るまで
の間の待機や休憩タイムにもってこいです。
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手書きイラストで黒島のことが丁寧に
まとめられています。ウェルカムハウスなどに
あるので一枚持っておきたいです。
黒島天主堂
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a.m.11:07ーー黒島天主堂
ウェルカムハウスから黒崎天主堂までは
約1.5km、徒歩約25分
島内に信号は一つもないので自転車だと快適です。
坂道のアポロンの撮影時は天主堂内にピアノと
ドラムセットを搬入。感動的なクランクアップ
シーンになりました。
1902年(明治35)にフランス人のマルマン神父が中心
となり、信徒全員が献金や労働などで参加し、黒島
のシンボルとして完成。
ーー1998年(平成10)に国の重要文化財に指定。
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11~12世紀で流行した西ヨーロッパのアーチを多用
するロマネスク様式の三廊式教会堂(奥行35m、間口16m)
祭壇には有田焼のタイルが敷かれ、キリスト像や
ステンドグラスはフランス製で当時のものが保存
されています。
こんな威風堂々とした建物を35年かけ、手作業で
40万個もの煉瓦を積み上げるなんて並々ならぬ執念
というか、信仰心を感じられずにはいられません。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01669-521c5.jpg)
中は事前予約が必要ですが見学は可能です。
撮影禁止なので畳を敷いていた当時の写真だけ
載せときます。
ーー1991年(平成3)に長椅子に変更
明治期の煉瓦造教会堂としては完成度が高く
その後の教会堂建設の模範となった全国的にも
貴重な教会です。
カトリック共同墓地
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01575-3eedd.jpg)
a.m.11:45ーーカトリック共同墓地
天主堂からあまり離れていない距離に
信徒が眠る共同墓地があります。
ーー黒島は今でも土葬が許可されている数少ない
特区です
特徴として日本風の墓碑に西洋風の蒲鉾形
の棺、上部には十字架が添えられています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01577.jpg)
天主堂完成後も黒島に残ったマルマン神父はその
生涯を信仰に捧げ、1910年(大正元年)黒島の土
となりました。
マルマン神父と信徒たちが眠るこの場所は信仰の証
としてこの島の宝となっています。
信仰復活の地
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01589-da0ad.jpg)
p.m.0:06ーー信仰復活の地
黒島で初めて神父がミサを捧げ、秘跡を授けられた
出口家の跡地です。
ーー黒島港から2.8km、徒歩約40分
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01590-ad2fe.jpg)
黒島の潜伏キリシタンが正式にカトリックとして
復活を遂げたことを語る上で”信仰復活の地”であり
重要な場所となっています。
本村集落
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p.m.0:36ーー本村集落
黒島は集落が広範囲に点在していますが
その中で最初に人が住んだ場所で”もとの村”に由来。
ーー黒島港から0.9km、徒歩約15分
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01608.jpg)
カトリック一色という印象ですが、本村集落には
島内で最も古い歴史を持つ曹禅宗の興善寺があります。
迫害や弾圧の記録があまり残っていないため
キリシタン教徒と仏教徒は共存関係を築いていた
ともいわれています。
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p.m.1:01ーー串の浜岩脈
約800万年前に地下の溶岩が岩盤の裂け目に入って
すじ状に冷え固まったものです。
その後、長い年月をかけて浸食により削られ、固い
玄武岩が突出して現在の姿になった岩脈。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01616-8ba88.jpg)
三列から成り立っていて総全長が300m以上あり
長崎県最大の規模を誇る珍しい地質構造です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01634-038dc.jpg)
p.m.1:37ーー蕨展望所
蕨集落に近い展望所は綺麗に整備されています。
ベンチが設置してあるので腰掛けて一休み。
天気の良い日は絶景が望める黒島随一のスポット
なのですが、この日は曇りがちで遠くまで見通す
ことが出来ませんでした。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01633-34e23.jpg)
蕨集落では海から内陸に向かって開拓を進めた
土地利用の様子がよく残されています。
蕨(わらべ)は昔、わらびがたくさん採れたことが
由来とのこと。わらびがなまって「わらべ」
となったようです。
cafe海咲
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01642.jpg)
p.m.1:45ーーcafe海咲
島唯一のカフェ。
軽食のメニューも幅広く、飲食店のない黒島
で観光客に重宝されるお店です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01647-fa1d4.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01643.jpg)
お店の敷地内にはルルドの泉もあります。
店内はログハウスのような素敵な内観で
木のぬくもりを感じられます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01646-992c8.jpg)
「黒島ブレンド」¥400
黒島の天水からブレンドしたアイスコーヒー。
歩き疲れた体が水分を欲していて一気に飲み干し
そうな勢いでしたが、添えのお菓子と共に味わ
っていただきました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01655.jpg)
p.m.2:25ーー根谷のサザンカ
樹齢300~400年と推定される根回り180㎝
樹高10m以上、温暖な黒島の象徴する樹木。
実からとれる貴重な食用油はこの島に移りこんだ
キリシタンたちの生活を支えました。
ーー黒島港から2.2km、徒歩約35分
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01660-2fa1e.jpg)
p.m.2:27ーーアコウの巨木
アコウとはクワ科イチジク属の常緑亜高木。
このアコウは樹齢約100年、黒島の中でも最大
の大きさです。
アコウは枝や幹からたくさんの”気根”と呼ばれる
根を伸ばし、伸長して地表に達するとそのまま
幹状に発達します。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01662-a2ba9.jpg)
おばけのような見た目の樹木。
垂れ下がったその姿から「タコの木」と
呼ばれています。
気根が巻き付いて他の木を絞め殺すこともあるため
「しめ殺しの木」とも呼ばれています。
ーー黒島港から2.3km、徒歩約35分
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01672-17bd3.jpg)
p.m.2:48ーー黒島神社
港に戻り、周辺を散策。
境内には黒島に唯一残っている自然林があり
照葉樹を中心に縄文の森を形成しています。
ーー黒島港から0.1km、徒歩約1分
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01681.jpg)
p.m.3:36ーー黒島旅客船
フェリーの最終便は15時30分。
これを逃すと帰れなくなるので夢中になって観光
して時間を忘れないようにしましょうーーー
もう一度言いますが、島にはバスもタクシーも
ありません。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01694.jpg)
黒島から戻ってきた際に「食彩の里よかばい相浦」
でソフトクリームはいかがですかーー
プリンセスマンゴーを贅沢に使った
「マンゴーソフトクリーム」¥350
さっぱりとした口当たりに濃厚なマンゴーが後押し
します。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01695-c3896.jpg)
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
「船越展望所」
食彩の里よかばい相浦からアクセスしやすく無料
駐車場が併設されています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01699-d3661.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01698-3b67d.jpg)
海に近く、ダイナミックに九十九島が一望
できます。夕陽が綺麗に見えるオススメスポットです。
日本地図を実測で作製した伊能忠敬も訪れており
「七十に近き春にぞあひの浦 九十九島をいきの
松原」と歌を詠んでいます。
70に近い年齢でありながら九十九島や佐世保地方
沿岸の地形は驚くほど正確に測量されており
忠敬の測量技術の高さが伺えます。
総括ーーSummary
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/12/DSC01664-fe201.jpg)
長崎各地の隠れキリシタン達は、禁教令の弾圧から
逃れようと迫害があまり厳しくない黒島に移住する
ようになりました。
移り住んでから約80年もの間、仏教徒を装いながら
秘かに信仰を守り続けていました。
その後、長崎に外国人のための教会堂である大浦
教会堂が建てられました。
1864年(元治元年)出口親子ほか20名が厳しい禁教令
の中、命懸けで長崎に渡りました。
黒島に600人の隠れキリシタンの存在を状況を告白
し、洗礼を受けて伝道師となった出口吉大夫らに
より黒島の信徒は洗礼を授かりました。
さらに、ポアリエ神父が来島し、1872年に出口家宅
で島でのミサが初めて執り行われました。
約250年間の受難を耐え抜き、潜伏を経て信仰の
自由を手にした信徒の喜びようは想像できません。
(次回)ーー佐世保バーガーと三つの搭