【亀山社中跡】in長崎13ーー全国で1番多く像が建っている龍馬の聖地巡りと日本最初のカンパニーぜよ!

長崎ーーNagasaki
長崎ーー平和と祈りの湾岸都市 Nagasaki
長崎はこれまで紹介してきたように多くのドラマが
あふれる歴史のある町です。
 
キリシタン関連、外国人居留地、軍艦島など世界遺
産に登録されている観光地がたくさんあります。
そして激動の明治維新の渦中に巻き込まれた町でもあります。
 
坂本龍馬とトーマス・グラバー。
この2人が出会ったときから新しい時代への胎動が
始まりましたーー
 
支援や取引を行い組織を通し懇意にしていた
”坂本龍馬”その龍馬を社長に据え、同じ志を持つ
若者が集い商業的に活躍した海援隊の前身。
龍馬ファンにとっての聖地ーー亀山社中
 
60分100円のパーキングに車を置きます。
大体この辺の料金の相場はどこもあまり変わり
ありません。
 
目標は亀山社中記念館、若宮稲荷神社、風頭公園
と龍馬尽くしのコースを1時間で周り切ること。
 
 
閑静な住宅街から案内板にしたがって細い路地
を通っていくと龍馬通りに着きます。
 
210mの坂道や階段が続きます。亀山社中ゆかりの
人物の紹介しているパネルが立っているため一つ
一つ説明を読みながら歩いていけばあっという間です。
 
近藤長次郎
龍馬が信頼を置く人物ですが、抜け駆けしたために
龍馬の留守中に仲間から追求され隊則に則り
十文字切りで切腹して果てました。
 
子供の頃から秀才で社中では外交を任されていました。
ーー明治の時代まで生きていたら三菱は近藤長次郎
  が起こしたのかもしれないと言われるくらい
  優秀な人物です
 
陸奥宗光
維新後、政府に入ったが、新政府を信用しきらず
中立の立場を取り、戊辰戦争時には交渉力だけで
アメリカと渡り合ったり、幕臣の榎本武揚を降伏
させて「カミソリ大臣」と呼ばれていました。
 
亀山という地名の由来は幕末の名陶、亀山焼の窯
がこの地にあり、その亀山関連の家屋を借り受けて
結社をおこしました。
 
ご所有者のご厚意により亀山社中の遺構として公開
されています。
部屋の内訳は10畳・8畳・3畳の部屋と土間に
分けられています。
 
2部屋程度の展示しかありませんが幕末当時
そのままに復元した空間。実際に龍馬さんがいたと
いう場所の雰囲気を味わおうと意味もなく胡坐を
かいて腕組みしたりしてしまいました(笑)
 

Column

亀山社中
1865年(慶応元年)坂本竜馬が脱藩を許され
長崎で結成した貿易結社。海援隊の前身となった。

◆交易の仲介や運輸業、銃器の斡旋の他海軍
 ・航海術の習得に務める

◆龍馬らが最初に拠点を構えた地”亀山”と仲間
 ・結社を意味する”社中”をあわせてそう呼ばれる

◆最大の業績ーー1866年(慶応2年)長州藩の
 ために薩摩藩名義でグラバー商会から新式
 武器や蒸気船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)
 を購入。ーー薩長同盟、密約の契機になった

 
坂本龍馬立像は、名誉館長の武田鉄矢氏の寄贈
です。
武田鉄矢といえば「龍馬伝」で勝海舟を熱演した
ことで知られています。若いころ組んでいた
海援隊というバンド名も元はここからきています。
 
この龍馬の立ち姿の肖像画が日露戦争の際に明治
天皇の夢枕に立って日本の必勝を予言したといわ
れています。
 

坂本家の家紋が入った黒地羽二重の紋服からは

身長170cmと推定され、当時でも大柄の龍馬の
背丈が見てとれます。
 
ブーツは現存しないため、写真や資料を参考に
復元製作されたものです。
ーー現在でも通じるようなデザインで欲しく
  なります
 
高杉晋作から譲り受けたピストルや時代を先取り
したブーツから新しもの好きな龍馬の性格がよく
表れています。
 
京都河原町の近江屋で暗殺されたときも懐に
ピストルを忍ばしていましたが、使うことなく
凶刃に倒れました。
 
兄から譲られた愛用の”陸奥守吉行”
刺客に襲われたときにも帯刀していて鞘のまま
攻撃を受け止めたとされています。
 
土佐藩と提携し、海援隊となった亀山社中。
貴重な海援隊の記録は写真撮影禁止ですが沈没した
いろは丸事件の概要や活動記録から海援隊を辿れます。
 
龍馬のぶーつ像
長身のため、有名な写真を見るとおりブーツ姿が
よく似合います。
 
草履しか履けなかった下級武士の反動か日本で
最初にブーツを履いたといわれています。
 
これがーー龍馬さんの歩いた道、仲間達とここから
日本の夜明けを見据えていたのかとしばし風景を
眺めながら、感慨深くなりました。
ぶーつに足を入れて舵を握ったら誰でも龍馬気分です♪
 
住所:長崎県長崎市伊良林2-7-24
TELL:095-823-3400
開館時間:9時00分~17時00分
休館日:12月29日~31日
入館料:一般¥300 高校生¥100 小・中学生¥150

関連サイトhttp://www.city.nagasaki.lg.jp/kameyama/index.html

 
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
亀山社中資料展示場
閉館中のため入れませんでしたが土日は無料で見学
できるため、記念館と同時に訪れたいです。
龍馬グッズや関連写真や絵が飾られています。
 
さらに「亀山社中ば活かす会」の地元住民がボラン
ティアで案内してくれるので龍馬ファン・歴史
ファンでなくとも気軽に立ち寄りましょう。
 
寺町通りから亀山社中跡を経て風頭公園に至る坂道
は「龍馬通り」と呼ばれ、長崎市の歴史探訪路と
なっています。
 
見学者用駐車場も完備されているため、ここを起点
にして亀山社中記念館や風頭公園を訪れるといい
かもしれません。

若宮稲荷神社ーーShrine

鎌倉幕府打倒に貢献した南北朝の武将・楠木正成を
守護神として祀ったことにちなみ、幕末に長崎に
訪れた志士たちが多く参拝しに来ました。
 
そのことから若宮稲荷神社は「勤皇稲荷」とも
呼ばれており、亀山社中のメンバーも訪れていたそうです。
 
龍馬も正成を崇拝していたらしく正成の最後の地で
ある神戸湊川では「月と日の むかしをしのぶみな
と川 流れて清き 菊の下水」という歌を詠んでい
ます。
 
有名なブーツを履いた写真には正成の刀を模して
作らせたと言われる脇差を腰に差した姿で撮っています。
 
絵馬はもちろん龍馬さん。
神社用とお土産用と2つ買ってもいいかもしれません。

風頭公園ーーPark

ここまで険しい坂や階段を登ってきたということは
大の龍馬ファンであることだと思います。
 
もう少しです。帰りのことは考えないようにして
風頭公園(かざがしら)展望台まで頑張りましょう!
 
風頭公園内に鎮座する高さ4.7mの龍馬像。
ブーツ姿で腕組している力強い姿からは日本を本気
で洗濯しようとした男の覚悟を感じます。
 
長崎港を眼下にハタ揚げ(凧揚げ)の地として地元民
に親しまれています。
 
長崎市在住の彫刻家・山崎和國氏によって制作され
平成元年5月21日建立されました。
 
公園名の通り、高台にあるため風の流れが気持ち
良いです。
 
しかし、せっかくの絶景が周りの木々によって台無
しになっている感が残念でなりません。
 
展望台には「竜馬がゆく」の文学碑。
幕末の動乱を駆け抜けた司馬遼太郎の名作です。
刻まれている言葉は”やがては日本回天の足場になる”
名言です。
 
駐車場まで戻って58分。
最後は走ってギリギリセーフでした!
 
住所:長崎県長崎市伊良林3丁目4−510−6
TELL:095-829-1184
開園時間:年中無休
休園日:なし
入園料:無料

関連サイト長崎市 風頭公園

総括ーーSummary

坂本龍馬とグラバー。違う場所で生まれ、別々の
人生を歩んできたこの2人の共通点はいくつかあります。
共に長身。1836年と1838年生まれ。
 
商才に秀でている。藩士と交流を深め、多くの者に
慕われてきた。
どちらも愛妻家で、女性の意見もよく聞くフェミニ
スト。日本で初めて新婚旅行をしたり、最後まで
連れ添ったりと夫婦仲はとてもよかったそうです。
 
2人とも海を渡って新しいことに挑戦。
様々な地で自由に冒険してしてきました。
 
日本人の銅像として一番多いのが、坂本龍馬の像。
全国各地に銅像が建っていて観光スポットに
なっています。
 
龍馬好きとしては全国に散らばる全ての銅像を制覇
してみたいですね!
 
(次回)ーー地獄と極楽は紙一重
タイトルとURLをコピーしました