長崎ーー平和と祈りの都市 Nagasaki
カトリック黒崎教会ーーChurch
1571年頃に外海一帯にキリスト教の布教が始まり
一時は5,000人近い信者がいたと言われています。
幕府の禁教令が出されても外海地区は神道の信仰
を装いながら神社に自らの信仰の対象をまつり
秘かに信仰を続けてきました。
Column
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
キリスト教宣教地の日本列島の東端にあたる
長崎と天草地方は最も集中的に宣教が行われた
◆禁教令の中で長崎と天草地方において一般
社会と共生しながら信仰を続けた証明となる
遺産群
◆潜伏キリシタンの伝統の始まりからその形成
維持、拡大の軌跡。終焉を迎えるまでの歴史を
語る上で必要不可欠な12の構成資産
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01864-a0956.jpg)
潮風を感じながら海沿いのドライブが気持ちいい
です。202号線はサンセットオーシャン202と
呼ばれていてドライブがてら絶景を望めます。
長崎市唯一の道の駅「夕陽が丘そとめ」では素晴ら
しい夕陽を望めます。夕日が拝める時間に訪れたい
です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01869.jpg)
◆Pick up◆
カトリック黒崎教会
建設年:1920年(大正9)
設計:不詳(マルク・マリ・ド・ロ神父説)
施工:川原忠蔵
構造:煉瓦造平屋建
◯現教会堂はド・ロ神父亡き後、大正9年(1920)
バルブ神父によって完成
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01874-2cbdd.jpg)
聖堂は信徒や子供たちがひとつひとつ積み上げた
レンガで造られています。
信徒が長年奉仕した努力の結晶としてこの教会が
構成されています。
ーーミサが始まる前でしたが人が集まってきた
ので上部だけ撮影しました
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01875-92652.jpg)
水色の窓が重厚な煉瓦積みのイメージを軽減して
見る人に威圧感を感じさせません。
また遠藤周作の小説「沈黙」の舞台にもなっています。
住所:長崎県長崎市下黒崎町1356
TELL:0959-25-0007
営業時間:9時00分~17時00分
定休日:年中無休
駐車場:有
入館料:無料(寄付をお願いします)
外海の大野集落ーーVillage
大野教会堂
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01905-ffbce.jpg)
森に囲まれた石造りの外見の可愛らしい教会。
ド・ロ神父が設計し、私財を投じて信徒とともに
建てた歴史が深い建築です。
坂を登った先の駐車場に車を置いて案内板に
沿って民家の横を抜けていきます。見学は事前
予約が必要のため、急遽前日に電話で予約しま
した。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01883-c7222.jpg)
◆Pick up◆
大野教会堂
建設年:1893年(明治26)
設計・施工:マルク・マリ・ド・ロ神父
構造:平屋建、瓦葺き
◯2018年6月30日 世界文化遺産登録
なんとなくわかるーーマルク・マリ・ド・ロ
1840年(天保11)にフランスの貴族の次男と
して誕生。神学校卒業後、東洋布教のため
パリ外国人宣教会に入会
ーーフランスノルマンディー地方、ナポレオン
の血を引く貴族の出
⇩
キリシタン弾圧継続中の1868年6月(明治元年)
に隠れキリシタンが多く住んでいた外海地区に
死の覚悟をして来日。
ーー「魂の救済だけでなく、その魂が宿る人間
の肉体、生活の救済が必要」と体感する
⇩
1878年(明治11年)外海地区の主任司祭に赴任
したド・ロ神父は「陸の孤島」と呼ばれ、厳し
い自然環境の中、長期のキリシタン弾圧にも
耐えながら、信仰だけを頼りに暮らしをして
いた人々と共に教会を中心とした町づくりを
目指した。
ーー孤児院や救助院を開設。授産など多彩な
事業により、村人や女性たちの自立を支援
ーー技術や知識を外海の人々に授け
「ド・ロさま」と呼ばれ親しまれる
外海の人々のために生涯を捧げ、一度も母国
フランスへ帰ることなく1914年(大正3)に逝去
ーー享年74歳
ーー現在は自らがつくった現出津共同墓に信徒
たちと眠る。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01888-d2e13.jpg)
石造の壁は100年以上経った現在でも健在している
玄武岩の割石を漆喰モルタルで固めた特殊な壁体
です。地元ではドロ神父からなぞって「ド・ロ壁」
と呼ばれています。
側面の窓は上部を半円の明るい煉瓦がアーチ形に
なっていてド・ロ壁とのアクセントになっています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01887-63512.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01897.jpg)
正面(北側)に開口部がない代わりに壁の内側から
通り抜けができる風除室(前廊部)が設けられており
その通路から会堂内に入るようになっています。
十字架は掲げられていませんが、屋根瓦に十字架の
装飾を見ることができます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01890.jpg)
堂内には入ることができません。
外から撮る分には構わないと言われたので内装
がわかる程度に紹介します。北側に会堂部、
南側に司祭室からなります。
軒下の梁の先端に施した装飾など設計者である
ド・ロ神父のこだわりが見られ、また風土に
則ったデザインが特徴です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01906.jpg)
高台に教会が建っているため見晴らしも良く明日
の目的地である池島を眺めることができます。
現在は信徒数が少なくなったため、普段使いはされ
なくなりましたが、年に一度一日だけミサが行われ
当時の風景を感じることができます。
住所:長崎県長崎市下大野町2619
TELL:095-823-7650
営業時間:9時00分~17時00分
定休日:年中無休
駐車場:有
入館料:無料(寄付をお願いします)
外海の出津集落ーーVillage
外海歴史民俗資料館
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01909-9730f.jpg)
外海地区の歴史、民俗資料を展示しています。
古代から現代までの祖先が残してくれた貴重な歴史
や昔の生活、産業を資料を通して見ることができます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01911.jpg)
1階は農具など農家の暮らし。
池島炭鉱の歴史もここで見られます。
2階は長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
に関する資料。ド・ロ神父の業績、弥生時代の遺跡
関連を紹介しています。
ーー隠れキリシタンのことがもっと知りたいなら
訪れるべき場所です
ド・ロ神父記念館・外海歴史民俗資料館
共通入館券¥300なのでセットで訪れることを
オススメします。
住所:長崎市西出津町2800番地
TELL:0959-25-1188
営業時間:9時00分~17時00分
定休日:12月29日~1月3日
駐車場:有
入館料:¥150
関連サイト:長崎市外海歴史民俗資料館
旧出津救助院
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01913.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01916.jpg)
資料館に車を停めて向かいます。
途中でおもしろい建築を見つけたので立ち寄ってみます。
フランス・パリ外国宣教会の庭園に現存する建物
及び古写真を参考にデザインされた憩いの広場。
参考にした建物はド・ロ神父の最初の建築といわれ
日本に旅立つ際に最後に祈りをささげた場所と
伝えられています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01921.jpg)
1879年(明治12)ド・ロ神父が村民の窮状を救うため
に私財を投じて建設した授産・福祉施設。
現存する授産場はド・ロ神父の設計施工により
1883年(明治16)に完成し、続いて鰯網工場
(ド・ロ神父記念館)を1885年(明治18)に竣工
しました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01919.jpg)
救助院では日記、算術などの学業の他に
マカロニ、そうめんやパン、製糸・製織など
多彩な技術生産が行われた施設です。
ーー使用された機械器具はド・ロ神父がヨーロッパ
諸国から購入したものです
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01968.jpg)
ー授産場ー
木造及び石造、二階建、寄棟造、桟瓦葺の旧出津
救助院の中心施設です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01976-7fee2.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01970.jpg)
パスタ製造機が置いてありド・ロ神父が製法を伝え
た「ド・ロさまそうめん」が垂れ下がっています。
ーー特産品となっていてお土産に大人気!
夕陽が丘そとめで購入できます
作業の様子を綴った日記と合わせて当時の作業情景
が想像できます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01964-e22e8.jpg)
1階は作業場、2階は修道女の生活場所・礼拝堂
として使用されました。現在はコンサートや講演会
を開催しています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01956-aee57.jpg)
シスターが、オルガンを弾いてくれました。
このオルガンは”ハルモニュウム”といい、高音部3列
低音部2列のリードを持ち、美しい音色を奏でます。
ド・ロ神父が明治期に購入し、毎日のミサで使用していました。
100年以上前の楽器を今も使っていて、あまつさえ
音がしっかり出るなんて驚きです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01925-04838.jpg)
他にもマカロニ工、鰯網工場が重要文化財
として構成されています。
手前の白い建物がマカロニ工場です。
煉瓦造、切妻造、桟瓦葺、漆喰塗り。
国内初のマカロニ工場で内部は東西2室に分かれ
建物から”ド・ロ塀”が延びています。
鰯網工場は木骨煉瓦造、平屋建、寄棟造、桟瓦葺。
鰯網の工場として建設されましたが、竣工の翌年
には保育所として利用されました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01983.jpg)
主に救助院で働く人の子どもを預かっており
給食調理を行うなど、国内では先進的な施設
でした。
西洋の建築技術を取り入れた明治初期の授産・福祉
施設は明治初期において例をみない貴重な文化財です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01922.jpg)
ード・ロ神父記念館ー
鰯網工場、保育所と役割を変えて現在は
ド・ロ神父ゆかりの品々が展示されています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01933-775ac.jpg)
主な展示品は絵画や工芸品などの宗教関係が多く
また、医療や土木・建築といった社会福祉や産業
開発の技術を伝えるための貴重な資料もあります。
ーーシスターが説明してくれるので気軽に立ち寄り
ましょう
出津教会堂
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01942.jpg)
教会建築には珍しく2つの搭が建っています。
大きな塔の中にはアンジェラスの鐘が納められ
長部のマリア像はフランスから取り寄せたもの
です。
風が強い外海の気候を考慮し、軒高を低く抑えられ
ています。
◆Pick up◆
出津教会
建設年:1608年(明治14)
設計・施工:マルク・マリ・ド・ロ神父
構造:煉瓦造瓦葺き平屋建て
◯明治期にド・ロ神父の設計・施工により2度に
わたって増築されている。
◯2018年6月30日 世界文化遺産登録
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01944-0e9c3.jpg)
基本的に堂内は撮影禁止になっています。
特徴として天井が低くフラットで白い壁、ステンド
グラスを設けない和室のような日本の伝統建築を
思わせます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01950.jpg)
各所にド・ロ神父の特殊な手法が取り込まれており
ド・ロ神父の偉業の一つであり、文化財の価値が
高い教会です。
住所:長崎県長崎市西出津町2633
TELL:0959-621-3672
営業時間:9時00分~17時00
定休日:年中無休
駐車場:有
入館料:無料(寄付をお願いします)
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC02106.jpg)
ー野道キリシタン墓地ー
ド・ロ神父の軌跡を辿るなら最後に訪れましょう。
黒島で見かけたような十字架のお墓が並んでいま
す。
旧出津救助院から坂道を下って出津小学校の方へ
向かうとたくさんのお墓が急斜面に建っているので
すぐにわかります。
陽が落ちてから訪れたので雰囲気があります。恐怖
心がありましたが好奇心が勝り、最上段まで自然石
で作られた階段を登りました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC02109-b9b7e.jpg)
入口からわかりやすい場所に等身大のキリスト像
があってその近くにド・ロ神父のお墓があるため
すぐ見つけられます。
墓石は他と比べても立派で命日にはミサが行われる
など地域住民からとても慕われていることが伝わります。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC02112.jpg)
急傾斜にある墓地からは集落全体が見渡せます。
この地で眠るド・ロ神父と多くの信徒たちが
出津集落を見守ってくれているかのようです。
総括ーーSummary
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01926.jpg)
明治の時代に移り変わったにも関わらず貧しい
暮らしを強いられる村人のためにド・ロ神父は司教
という立場をはみ出し、私財を投資して社会福祉
事業に挺身して人々を救いました。
中央で主導権を争って国民を見ていなかった政府と
ド・ロ神父のような隣人愛の持ち主。
どちらについていくかは明白ですねーー
信仰の賜物なのか、使命感の強さがそうさせるのか
いずれにしろ、ド・ロ神父が外海の人々にとっての
救世主であることは間違いありません。もっと多く
の人にド・ロ神父の偉業が広まることを願いますーー
(次回)ーーもう一つの軍艦島