霧島ーー霧に煙る海に浮かぶ島 Kirishima
塩浸温泉龍馬公園ーーPark
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バイトが終わった後に足を伸ばして坂本龍馬が
寺田屋で負った傷を癒す目的でお龍と訪れた
温泉地へ行ってみます。
1866年(慶応2)西郷隆盛や小松帯刀の紹介により
妻のお龍を伴って霧島に湯治にやってきました。
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その中でも塩浸温泉には最も長い18泊20日逗留した
ため平成22年に”塩浸温泉龍馬公園”として整備されました。
こーゆう遊び心にあふれた看板は好きです。
気を付けようと思わせてくれますーー
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宿場町として賑わっていたころは川沿いに宿が建ち
並んでいたそうですが、現在面影は残っていません。
龍馬が当て字した「志おひ多しの河桟敷(しおひたし
のかさんじき)」川には大量のカモが気持ちよさそう
に泳いでいます。
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龍馬が入ったとされる湯舟は”龍馬風呂”として
しっかり残っています。入ることはできませんが
無料の手湯として利用することができます。
龍馬が乙女姉やんに宛てた書簡から「谷川の流れ
でうおをつりピストルをもちて鳥をうちまことに
おもしろかりし」と書き綴った場所になっています。
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温泉は「塩浸の湯」と「鶴の湯」の2つがあります。
少しぬるめですが身体がポカポカになります。
足湯は無料で入ることができます。
温泉卵と一緒に楽しみたいです。
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激動の龍馬の人生でのんびりできたのはおそらく
この時だけだったと想像できます。短い期間でも2人
で幸福な時間を過ごせた地はーー霧島だったでしょう
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龍馬が歩いた当時は現在のように国道沿いに道は
整備されてなく、塩浸温泉に行くには崖上から
降りてくるしかありませんでした。
ーー塩浸温泉が”谷の湯”と呼ばれる理由です
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龍馬とお龍が訪れた当時から変わらない石段です。
ーー時空を超えて同じ空間を共有するのはなんか
変な感じです
石段を登った先には塩浸温泉神社の祠が鎮座して
います。
祠の近くにある”岩抱き杉”は古くからパワー
スポットと信じられています。
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渓谷にある温泉の光景から「実に、此世の外かと
おもはれ候ほどの、めづらしき所ナリ」と言葉を
残しています。
そのため200円で見学可能な資料館は「この世の外
」というあまり聞かないような珍しい名前になって
います。龍馬の書簡の複製や天逆鉾など小規模
ながら龍馬愛が詰まった展示物が説明好きなスタッフ
と一緒に見られます。
住所:霧島市牧園町宿窪田3606
TELL:0995-76-0007
営業時間:9時00分~18時00分
(入浴受付17時まで)
定休日:月曜日
入浴料:大人¥360 小人¥140
駐車場:有(無料)
犬飼滝ーーWaterfall
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駐車場から約5分くらい遊歩道を進むと滝壺に行く
ことができます。
駐車場にある展望台からも滝が見えますがダイナミ
ックな光景を見たいのなら300m下の滝つぼ展望台
まで行くことをオススメします。
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古来から多くの著名人が訪れ、和歌を詠んだり思い
思いの感想を述べた場所です。
龍馬とお龍のハネムーンロードにもなっています。
乙女姉やんへの手紙には「蔭見の滝其の布は十間も
落ちて、中程には少しでもさわりなし」蔭見の滝と
表現していますが「いぬかい」を「いんけん」と
聞き間違え、当て字をしたといわれています。
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滝幅21.8m、滝高36.0m
豪快でド迫力の水量から滝つぼ展望台まで水しぶき
が飛んできます。
ーー犬飼滝周辺は2000年(平成12)
「新鹿児島百景」の第1位に選定されました
和気神社ーーShrine
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犬飼滝から道路を挟んだ場所にある和氣清麻呂公
をお祀りする社。
なんとなくわかるーー宇佐八幡宮神託事件
道鏡の皇位継承を阻止した和気清麻呂が
「忠臣の鑑」として称えられ、道鏡事件とも呼ばれる。
⇩
奈良時代、道鏡は称徳天皇に取り入り、その
片腕となり765年(天平神護元年)には僧のまま
太政大臣となり遂には”法王”の位になる。
ーー俗説ではただならぬ関係だったとか…
⇩
769年(神護景雲3)豊前国宇佐八幡宮(現:大分
県宇佐市の宇佐神宮)から道鏡を皇位につかせ
たならば天下は泰平であるとの神託を称徳天皇
に奏上した。
ーー八幡神から和気広虫の派遣を求められるが
代わりに弟である和気清麻呂を派遣した
⇩
清麻呂は天皇の勅使として宇佐神宮に参宮。
清麻呂は「わが国は開闢このかた、君臣のこと
定まれり。臣をもて君とする、いまだこれあら
ず。天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ。無道の人
はよろしく早く掃除すべし」
ーー道鏡不適格の託宣を得て大和に持ち帰り
奏上する
⇩
道鏡を天皇の位に就けたがっていた称徳天皇は
清麻呂を左遷したのち、大隅国(鹿児島)へ配流する。
ーー称徳天皇が詔を発し、道鏡には皇位は継が
せないと宣言
ーー称徳天皇が崩御すると道鏡は失脚
⇩
781年(天応元年)桓武天皇が即位すると和気清
麻呂は再び都に召し返されて和気朝臣の姓を
賜わり、従四位下となった。
その後、民部大輔、摂津大夫などを経て従三従
に叙せられ、公卿の地位に昇った。
平安京への遷都を進言し、治水工事や尼崎港
など多くの土木事業をなし、領地では領民の
負担軽減を行うなど善政を敷き、799年(延暦18年)に没する。
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和気清麻呂を主祭神として祀った和気神社では交通
安全学問、建築の神として御利益があるといわれています。
清麻呂一行が約300頭もの猪に道鏡の刺客から護衛
されました。このときの八幡宮まで無事に案内され
た伝説から狛犬ならぬ狛猪が向き合って神社を守護しています。
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絵馬と御朱印は龍馬とお龍の2人のシルエットや
白猪と犬飼滝が描かれていてどれにしようか迷います。
日本初の新婚旅行の地で2人して絵馬を書くなんて
ロマンチックですね。
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清麻呂公を御守りした猪と清麻呂公をかたどった
日本一の絵馬は圧巻です。
ーー縦8.0m 横12.0m 畳約50畳分
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白いイノシシが飼育され和気(わけ)ちゃんと呼ばれています。
もののけ姫に登場する猪神達の王、乙事主みたい!
素晴らしい毛並みです。ナデナデしたいですね!
神社のすぐ下の公園では季節により藤棚が綺麗に
咲き誇ります。和気清麻呂公の生誕地ーー岡山
県和気町の藤公園から特に有名な百本の藤の苗木を
寄贈してもらいました。
総括ーーSummary
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鹿児島県霧島市にある塩浸(しおひたし)温泉の由来は
付近の川岸に「塩牡蠣(白色の固形物)」が付着してい
たことから名づけられ、1806年ごろに鶴が傷を癒し
ている様子を見て温泉が発見されました。
龍馬は姉・乙女宛の手紙で霧島の様子を手紙で伝え
ています。「此所は、もう大隅の国にて和気清麻呂
が庵結びし所、陰見の滝其の布は十間も落ちて
中程には少しでもさわりなし。
実、この世の外かと思われ候ほどのめずらしき所
なり。此処に十日計も止まりあそび、谷川の流
にて魚をつり、短筒をもちて鳥をうちなど、まこと
におもしろかりし。」
よっぽど楽しかったのか、母代わりになって育てて
くれた乙女姉やんに伝えたい気持ちが文面から溢れています。
坂本龍馬が訪れたときはまだ和気神社には和気
清麻呂公は祀られていませんでした。
1853年(嘉永6年)島津斉彬公がこの地を和気清麻呂
公流謫の地として調査したことから終戦後の
昭和21年に鎮座祭が行われ現在に至ります。
(次回)ーー鬼が一夜にして作った階段を上ると
願いが叶う!?