![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/02/E890A9.jpg)
後編は松本川を挟んだ向こう側。
「松下村塾」や「萩反射炉」といった世界遺産の
”明治維新胎動の地”である旧松本村を巡りますーー
萩ーー英雄たちが闊歩していた町 Hagi
松下村塾ーーHeritage
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00842.jpg)
学問の神様として祀られている「松陰神社」
松陰先生にあやかりたい参拝者が後を絶ちません。
私の参拝時は大雨でしたがそれでも傘を差した人が
多くいました。
ーー雨の日は浄化作用が強化されるといわれています
◆Pick up◆
松陰神社
創建:1907年(明治40)
御祭神:吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰)
構造:旧社殿ー土蔵造り
◯松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となって創建を請願
◯学問の神様として尊敬を集める神社
◯1882年(明治15)東京都世田谷区若林にかつて
長州別邸が建っていた場所に松陰を祀る神社が創建された
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00889-d56c4.jpg)
駐車場は境内と神社内にあって広く無料のため
好きなだけ停めることが出来ます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00850-0f32b.jpg)
境内は学問に関するお守りがたくさん売って
あります。御朱印にあまり興味はありませんが
「至誠にして動かざる者は 未だ之れ有らざるなり」
と松陰先生の有名な言葉の”至極”という文字を書いて
くれるので貰えばよかったと後悔しましたーー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00859-1e31c.jpg)
松陰神社の社殿から左手にある”松門神社”
新社殿が竣工されたことで旧社殿として
現在では松陰門下生52柱を祀られています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC01029-1.jpg)
松陰神社の敷地内にある「松下村塾」は
吉田松陰が身分、階級問わずに教育を行い
約1年と1か月の間に久坂玄瑞、高杉晋作
伊藤博文など維新の中核を担う逸材を育て上げました。
クラスわけはない。時間割はない。教科書もない。
家事の合間など都合の良い時に学べ、質疑応答
で投げられた議題をみんなで考えることで
講義を行いました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00880-9cf0c.jpg)
木造平屋建瓦葺の広さ8畳の塾舎と塾生たちとの
労力によって増築した10畳半の部分から構成
されています。
こんな掘立小屋のような中で若いエネルギーが溢れ
発散する場所を探していた青春ていいなーと羨ましく思います。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00846.jpg)
まさに戦後の青空教室よろしく学ぶ場所はどこでもいい。
ともに切磋琢磨できる仲間と優秀な先生がいれば
十分というかんじです。
なんとなくわかる吉田松陰
幼いころから天才少年。死ぬまで先生
死しても先生と慕われる教科書に載ってないクレイジーな行動力と生涯
1830年(天保元年)萩藩士杉百合之介の次男として生まれる。
ーー叔父の玉木文之進から教育を受け萩藩の山鹿流兵学師範を修める
⇩
10歳から藩校明倫館に出仕し、22歳で山鹿流兵法の教鞭を執る。
ーー11歳のときには藩主毛利敬親の前で「武教全書」の講義を行う
⇩
諸国を遊学しながら、江戸でペリー来航に遭遇しアメリカへの渡航失敗。
ーー萩で幽閉され、獄中で勉強会を開き、囚人に生きる希望を教える
⇩
1855年(安政2)杉家で松下村塾を開塾、家族や近隣の子供たちが参加
ーー現在の松陰神社に位置する小舎を作り替える
ーー登山や水泳など「生きた学問」を目指した
⇩
1855年(安政2)安政の大獄により暗殺を自ら暴露し処刑、前科5犯。満29歳没
辞世の句弟子宛ー「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
家族宛ー「親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00878-7c0d2.jpg)
吉田松陰の生家ーー杉家
大河ドラマ「花燃ゆ」に登場した建物そっくりで
当時の姿のまま残っています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00844.jpg)
松陰先生は辞世の句を家族宛に送っています。
親孝行で竹を愛していたということから記念として
親竹の周りにしか竹の子が育たないため「孝行竹」
といわれ、松陰神社に贈答されました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC01027-2b0f2.jpg)
敷地内には2つの松陰に関する資料館があります。
規模は小さいですが展示物には筆まめだった
松陰の直筆の手紙など松陰ゆかりの品があります。
住所:山口県萩市椿東船津1537番地
TELL:0838-22-4643
開館時間:9時00分~17時00分
休館日:年中無休
入館料:宝物殿・歴史館ーー大人¥500 中高校生¥250 小学生¥100
伊藤博文旧宅・別邸ーーHouse
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00902-eb3d9.jpg)
松陰神社から歩いて5分ほどの場所に位置し
伊藤博文の品川にあった邸宅を萩に別邸として移築しました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00898.jpg)
なんとなくわかる伊藤博文
足軽から総理大臣ーー男版シンデレラストーリ
「維新三傑」亡き後の生き残った長州ファイブ
1841年(天保12)山口県光市に農民の長男として萩に生まれる
ーー松下村塾の中心世代より若干年下
⇩
桂小五郎の従者として江戸へ行き、尊王攘夷運動に加担する。
ーー安政の大獄で処刑された吉田松陰の亡骸を引き取る
⇩
高杉晋作の弟分としてイギリス公使館焼討ちに参加。
ーー過激派として活動する一方、海外への強い関心と憧れを持つようになる
⇩
1863年(明治4)長州五傑(長州ファイブ)の一員としてイギリスに留学。
ーー急遽帰国し、四ヵ国艦隊と長州藩との講和を成立
⇩
明治維新後は兵庫県知事になり、1885(明治18)初代内閣総理大臣就任。
ーー第4次にわたり内閣を組閣。岩倉使節団の副使として欧米を歴訪
⇩
ドイツ(プロイセン)の憲法を学び、大日本国見坊の草案を天皇に提出。
1909年(明治42)満州訪問時にハルピン駅頭で暗殺。享年69歳
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00917.jpg)
長州五傑(長州ファイブ)
井上馨は外交、遠藤は造幣、山尾は工学、井上勝
は鉄道、伊藤は内閣のそれぞれ「父」となって
碑文に記されています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00913-1bbb5.jpg)
明治時代、宮大工による大広間の鏡天井や離れ座敷
の節天井などあちこちに意匠が光ります。
住所:山口県萩市椿東椎原1511ー1
TELL:0838-25-3139
開館時間:9時00分~17時00分
休館日:年中無休
入館料:大人¥100
公式HP:ー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00922.jpg)
附に茅葺き平屋建て「伊藤博文旧宅地」
1868年(明治元年)兵庫県知事に赴任するまで
本拠地だった場所です。
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC01013-07011.jpg)
ー郡司鋳造所遺構広場ー
かつて郡司家の鋳造所のあった場所の一角
に復元された遺跡広場です。
松陰神社の北側にあるのでついでに足を伸ば
してもいいかもしれません。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC01022.jpg)
西洋式の青銅大砲を鋳造していた産業遺構で上の
写真のように鋳造していたと考えられています。
石組大砲鋳造遺構としては全国でも唯一です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00926.jpg)
ー吉田松陰誕生地ー
小高い丘の上にある歩道にポツンとあります。
近くには墓と像が建っています。
ーー道の真ん中で生まれたわけではないです
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00929-1.jpg)
ー玉木文之進旧宅ー
1855年(安政2)松陰がこの邸宅を叔父から継承して
名が知れ渡ったことから松下村塾発祥の地といえます。
東光寺ーーTemple
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00935-7e937.jpg)
ー東光寺総門ー
1691年(元禄4)萩藩3代藩主毛利吉就が創建
した毛利氏の菩提寺ーー拝観料¥300
赤門は黄檗宗特有の形式の遺構です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00938-cca68.jpg)
ー東光寺三門ー
総門ー三門ー鐘楼ー大雄宝殿は国の重要文化財
に指定されています。全体の構造は禅宗様で
規模が大きい地方寺院の三門です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00950-cea5d.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00961-21e38.jpg)
ー東光寺大雄宝殿ー
一重裳階付き仏殿形式、屋根は入母屋造り本瓦葺き
重厚で力強く奥にある霊廟を守っているかのようです。
鬼瓦は実際に「太閤記」のタイトルバックで
使用されました。魔除けの意味が込められていて
元禄時代の創建当時の貴重なものです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00969.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00979.jpg)
ー萩藩主毛利家墓所ー
藩士から寄進された整然と並んだ石灯籠が圧巻で
苔むした静かな空間は落ち着きます。
毛利3代藩主から11代藩主までの奇数代の藩主と
夫人の墓があります。
萩反射炉ーーHeritage
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00986.jpg)
階段と坂の先の高台の上にあります。
整備が行き届いていてガイドの人に説明してもらいました。
反射炉とはーー西洋で開発された金属溶解炉。
欧米列強に対抗するため幕府や一部の藩が
洋式の大砲を製造を試みた遺跡です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00989.jpg)
◆Pick up◆
萩反射炉
築造年:1691年(元禄4)
規模:高さー10.5m 基底部前面ー5.45m 側面ー3.8m
構造:上部の一部が煉瓦積み、下が安山岩積み
◯2015年(平成27)明治日本の産業革命遺産に登録
◯2股に分かれているように見える煙突はそれぞれ独立
◯下方は2つのアーチ型の煙道孔が開いている
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1851年(嘉永4)佐賀藩が日本で最初に反射炉を完成
させました。佐賀藩の反射炉を見学の許可をもらい
スケッチをもとに萩反射炉の試験炉が築造されました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC00991.jpg)
軍事力強化のために反射炉を導入しましたが技術面
費用面的にも厳しく、反射炉の製造を断念しました。
ガイドの人いわく失敗作ということだそうですーー
しかし、トライ&エラー(試行錯誤)を繰り返した
産物として産業化を示しています。
反射炉の遺構は萩のほか、静岡県の韮山反射炉
鹿児島県の旧集成館にあるだけで貴重な遺跡です。
総括ーーSummary
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2019/03/DSC01032.jpg)
松陰神社の大人気の「傘みくじ」
運が開けるように天気によって運勢が決まります。
色とりどりの傘が結ばれた木は思わず写真を撮りたくなります。
松下村塾では来るもの拒まずーー
工学教育の重要さにいち早く目を付け、すぐさま
志をある若者を集うその行動力。
自らの生活が苦しい時にでも食べれない者は食
べさせ、時には門下生を泊めることもあったといいます。
松下村塾の基本理念は師匠と弟子という枠を
とっぱらい共に学びあうことです。
ときには久坂玄瑞と高杉晋作のように競争させ
切磋琢磨し個性や能力を最大限に引き出す
よう仕向けたり、短所を改めるように促す教育方針
は現在でも見習うべきことだと思います。
反射炉は煙突部しか残っていませんがーー
萩博物館や明倫学舎で予習しておくと歴史的背景が
理解できて感動もひとしおです。
無料駐車場がコンビニと併設しているので
気軽に訪れることができます。
(次回)ーー海の伏見稲荷。自然と人の調和が
とれた秘境