大田ーー国内唯一、銀山の世界遺産 Oda
熊谷家住宅ーーHouse
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/E38391E383AFE3839D3.jpg)
緑ーー”龍源寺間歩”までの道のり
赤ーー街歩き散策・往路
青ーー街歩き散策・復路
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00238.jpg)
川沿いに大森代官所跡があるのでこの場所に停めて
散策もいいなーと思います。
ーー龍源寺間歩まで遠くなるため、レンタル
サイクル必須になります
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00242.jpg)
映画「アイ・ラブ・ピース」のロケ地です。
映画は観たことないですが、大田の町並みとアフガ
ニスタンを舞台にした戦争について考えさせられる
内容になっています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00243.jpg)
屋敷は1801年(享和元年)に建築。
鉱山業や酒造業、代官所の御用商人などを務めた
石見銀山御料で最も有力な商家です。
屋敷は部屋数約30。母屋の他に5棟の蔵が建ち並び
国の重要文化財に指定されています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00249.jpg)
ちょうど第1回特別展「パンと昭和」が開催中。
2階でやっているため、後でのぞいてみますーー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00253.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00250.jpg)
広々とした土間の入口に高い天井が開放感を与え
ます。石見銀山と共に栄えた豪商の時代を感じる
ことができます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00252.jpg)
勘定場にはかつて使われていた道具が公開されて
いて当時の暮らしぶりを鑑賞できます。
ーーどんだけ儲かっていたんでしょうね
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00256-93327.jpg)
屋敷の中央にある庭。
外からではのぞけない、家の中でしか楽しむことの
できないこじんまりとした素朴な庭は粋です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00305-7810e.jpg)
夏は障子の代わりに、すだれが使われていて屋敷中
を風が通り抜け気持ちいいです。
普段は仕切ってますが、外して一つの部屋にすると
大部屋に変身します。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00259-94c05.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00260-ad2e9.jpg)
ボットン便所より古い汲み取り式便所が一家庭に
便所が、ましてやお風呂まであることは当時とし
ては破格です。
ーー怪談がたくさんあるのも納得の雰囲気です
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00266.jpg)
この部屋は居間になっていて、床下に地下蔵が設け
られています。この地下蔵は火災に備え、代官所
から重要な物品を預かるために設けられたと伝わ
っています。
規模ーー床面:1.6m×3.4m 深さ(畳から床面まで):約2.5m
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00269-100a7.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00272.jpg)
2階の衣装蔵では衣服や寝具など家財が太田市へ寄附
されたもので、日々の生活で使用していた物を展示
しています。
東道具蔵には労働に欠かせないお酒の備品や醸造
された瓶詰があります。熊谷家は鉱山業の他に
酒造業など広範囲に渡る家業を営んでいました。
ーー棚を改造したような展示法が好きです
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00271.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00275-e2b89.jpg)
東道具蔵にある箱階段から2階に向かうと飲食具展示
”パンと昭和”の展示場になっています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00277.jpg)
日本でパン食が普及した中心的な活動に「軍隊」
が関係しています。
携行に便利で、そのまますぐに食べられ、腐りに
くいという点から”乾パン”が非常食として採用されました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00278.jpg)
しかし、慣れないパン食は苦痛でしかなくあまり
定着しませんでした。
その上、現代のようなふわっふわのパンではなく
パサパサしているためシチューに浸したり、バター
やジャムなどの日本人に合った嗜好品が考案され
いま私たちが好んで食べているパンが誕生しましたーー
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00308-9446b.jpg)
江戸時代末の姿に復原された台所。熊谷家の暮らし
を身近に感じるだけでなく近隣の学校などで体験
学習の場として活用されています。
ーー電気を一切使わず、薪割からご飯炊きまで体験
できます
所在地:島根県太田市大森町ハ63番地
TELL:0854-89-9003
参拝時間:9時30分~17時00分
休館日:年末年始・毎月最終火曜日
観覧料:大人¥500、小人¥100
旧河島家住宅ーーHouse
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00281-b9cda.jpg)
赤い石州瓦の屋根が建ち並ぶ景観に面して代々銀山
附役人を務めていた代官所地役人の「河島家住宅」
が建てられています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00292.jpg)
門をくぐると式台のある玄関があり、接客用の座敷
に面しています。
生活の場である納戸、つし2階、勝手など座敷は
上級武士の暮らしぶりを伝える武家屋敷です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00282.jpg)
中ノ間には美味しそうな食卓が並んでいます。
一見豪勢に見えますが、地役人といえども白米を
毎日のように食べる習慣はなく主に麦飯を食べていました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00285.jpg)
部屋から望む中庭が素晴らしく、昔の人の美的感覚
には頭が下がります。
ーーこの部屋にいると良い句が浮かび上がりそう
です(笑)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00288.jpg)
収納一つとっても素晴らしく、コンパクトにまとま
っています。
物が多くてもこんなふうに仕舞うことができたら
もはや”飾る”ですね。
ーー昔の人がいかに物を大切に扱ってきたかわかり
ますね
所在地:島根県太田市大森町ハ118番地1
TELL:0854-89-0932
参拝時間:9時00分~16時30分
休館日:年末年始
観覧料:大人¥200、小人¥100
薬師湯ーーOnsen
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/KIMG1980.jpg)
島根の港にある小さなローカル温泉街。「温泉津」
と書いてーー”ゆのつ”と読みます
石見銀山を隅々まで散策した後に立ち寄ると疲労と
共に日頃の溜まった疲れが吹き飛びます。車だと
約30分の場所にあるのでアクセスも良いです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/KIMG1982.jpg)
訪れる人はそこまで多くないため、日頃の喧噪を
さっぱり忘れてゆっくり過ごせます。
温泉街は道が狭いので”観光案内所ゆうゆう館”の
駐車場に停めさせてもらいます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/KIMG1987.jpg)
場所が近いだけに石見銀山の町並みと少し似てい
ます。すごく小さな温泉街なので周るのに時間
はかかりません。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/KIMG1983.jpg)
道中、「オール5の源泉100%かけ流し湯」と銘打
って宣伝されているのぼりを多く見かけます。
目的の”湯元薬師湯温泉”はレトロ調で洋風建築な
建物。入口から男湯と女湯が番台で分けられている
古き良き形が残っています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/KIMG1985.jpg)
日本温泉協会に島根県で唯一、最高評価オール5
を認められた源泉かけ流しの湯です。
かなりの熱湯で、苦手な人には正直キツイかもしれません。
湯ノ花に囲まれた温泉の湯口からは鉄の臭いが混じ
った源泉40度が流れます。泉質は強めの炭酸で床
まで赤茶色です。備え付けの石鹸やシャンプーは
置いていないため、必要であれば番台で購入可能です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/KIMG1993.jpg)
お湯ソムリエである番台に「2~3分入ったら
同じ時間か少し長く脱衣所で休憩を挟み、それを
4、5回繰り返す」という入浴方法を教えてもらって
実践してみると湯冷めすることなく、心地よく入浴できました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/KIMG2000.jpg)
2階に上がると桜の一枚板を使用した階段など踊り場
の書き物机がインテリアのように置かれており
モダンな空間が広がっています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00329-d711c.jpg)
2階のラウンジは無料開放されていて湯上り後に休憩
するのに絶好です。大きな窓からは温泉津の町を見渡せます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00322-2a922.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00323-d0258.jpg)
屋上ガーデンテラスからは400年間変わらない町並
みが望めます。
隣のとんがりが付いた屋根は大正8年度に建てられた
薬師湯の旧館でとんがりは当時の湯気だし口です。
赤い瓦(石州瓦)はこの地域の特産品の年代物で焼き
むらのある瓦の町並みは”島根のフィレンツェ”と
呼ぶに相応しいです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/KIMG2003.jpg)
屋上には無料のコーヒーマシンが置いてあります。
テラスのベンチに腰掛けて湯上り後のブレイク
タイムを楽しみます。
ーー市販のコーヒーなのにシチュエーション的に
美味しく感じます
所在地:島根県太田市温泉津町温泉津7
TELL:0855-65-4894
入浴時間:月~金 8時00分~21時00分
土・日・祝 6時00分~21時00分
営業日:年中無休
料金:大人¥450、小人¥200
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/KIMG2013.jpg)
広島に向かう途中にある駐車場やお土産、産地直売
など施設が充実している”道の駅 サンピコごうつ”
に寄ります。
24時間開いているので舞の市で夜を越してもよかっ
たのですけどカラダのポカポカが継続中でじっと
していられません。
さすがーーオール5の湯
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/KIMG2015.jpg)
神話の里らしく店の名前はーー麺やオロチ
お昼から飲料以外何も口にしていないので今か今か
とを待ち構えます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/KIMG2016.jpg)
辛いラーメンは苦手とするところですが、店名に
なっている「オロチラーメン¥680」
赤トウガラシとネギの暴れ具合がまさしくヤマタノ
オロチ。見た目ほど辛くないピリ辛のスープが空腹
に染みます。
TELL:0855-55-1155
営業時間:11時00分~21時00分
定休日:無休
駐車場:有100台
公式HP:ー
総括ーーSummary
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2018/11/DSC00297-35611.jpg)
現代の日本人の中にはご飯よりパン食派という人も
数多くいます。
日本のパン食は陸軍総監である”森鷗外”が脚気細菌説
を主張したため、世界の中でも導入が遅れに遅れ
大正9年になってから庶民の間で広がっていきました。
脱脂粉乳というものをご存時ですか?
昭和20年~40年代に給食を食べた人の多くが「脱脂
粉乳まずい…」と言います。終戦後の学校給食は
調理の人手も調理器具も不足していて大釜に粉乳を
溶かしていました。
全校生徒分の大量のミルクは溶かしきれず釜の底で
焦げつきました。このように不人気の脱脂粉乳です
が、栄養素が豊富なため無理矢理飲ませたり味を
誤魔化すため「三角食べ」が生まれました。
全国でも温泉協会に認定された5段階評価で採点が
行われました。通称「オール5」の温泉。
中でも薬師湯の出自は特殊で1872年(明治5年)の
浜田大地震の際に自然湧出した温泉で”震湯”と
呼ばれていています。以来、130年以上に渡って
湧き続ける自然からの恩恵です。
(次回)ーー夜の山道を抜け久しぶりのバイト生活!
広島のグルメに舌鼓を打つ♪