長崎ーー平和と祈りの都市 Nagasaki
目次ーーIndex
グラバー園ーーGarden
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オランダ坂からグラバー園への道のりは緩い坂が
続きます。
”オランダさんが通る坂”として開国後も長崎の人が
「オランダ坂」と呼んでいたことが由来となって
います。
がっかり名所なんて言われていますが、単体で見な
いで周りの建物や環境も併せて見ると異国情緒の
風景に溶け込んでいてこれほどオランダ坂という
名前がしっくりくる名所はありません。
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居留地は伝統的建造物群保存地区になっていて
明治期の姿をとどめています。
塀や屋根は日本風、外観は西洋風と建物の造りが
神戸の”北野異人館”と非常に似ています。
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長崎は坂が多く、居留地と長崎港が一望できる
ナポリのように美しい風景です。
かの有名な坂本龍馬は亀山社中を長崎で結成し
「墓、坂、バカ」と言っています。
これはバカみたいにお人好しが多いという意味とも
捉えられ実際に私も長崎県民の温かい心に触れました。
道に迷ってしまい、道行く人に聞いたところ、心配
だからと途中まで一緒についてきてくれました。
ーー自転車に乗ってると物珍しそうに見られます
けどね…
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小さな路地。石の坂。中世の町並みかジブリの世界
みたいで朝のさるく(散歩)にぴったりの長崎市です。
ーー迷いやすいですが(汗)
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![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC02624-cdade.jpg)
さてーー
大浦天主堂を見やりながらグラバー園に到着。
髭のエンブレムがお洒落です。お土産に欲しく
なってしまいます。
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![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC02630-9d12e.jpg)
第一ゲートで入園料を払い、動く歩道に乗って上へ
上へと行きます。
グラバー園内では石畳の道を辿りながら、長崎市内
に点在していた異国情緒溢れる建物を移築し公開
しています。
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グラバー園は長崎を代表する観光地として
マスコットのさるくちゃんが出迎えてくれます。
ーーさるくとは「ぶらぶら歩く」という意味
の長崎弁
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ー明治時代の水道共用栓ー
長崎市の水道は明治24年に完成しました。
イギリス人技師J・W・ハートをリンガーが呼んで
日本3番目となる近代的な水道を設計しました。
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居留地時代、土地は地番と呼ばれるエリアで区画
されていました。地番と地番の境界を示す石柱が
建てられていてその名残が居留地内に残っています。
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ー旧三菱第2ドックハウスー
明治29年に建築された西洋風建築。移築復元した
建物で船が造船所で修理などをしている間の船員達
の宿泊施設として使用されていました。
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2階のベランダからはまるでスイートルームのような
景色が広がっていて最高です。
タイミング良いと豪華客船の停泊が見られます。
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ー旧リンガー住宅(国指定重要文化財)ー
フレデリック・リンガーはグラバー商会に務め
交際交流長崎居留地の発展に尽力した実業家です。
軒の深いベランダで囲まれたバンガロー風の日本
では例の少ない木骨石造りの洋風住宅。
ーー平屋建ベランダ付、寄棟造桟瓦葺
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ベランダの床石はウラジオストクから運んだ御影石
ベランダの屋根を支える角柱には天草の石を使用
しています。
リンガーは3階建てレンガ造りの「ナガサキホテル」
を開業を行っており、東洋一壮大なホテルと言われ
ていました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC02675-92797.jpg)
ヨーロッパではマダム・バタフライとして有名な
オペラ歌手喜波貞子(きわていこ)に関する衣装や
大事にしていた小道具などが展示されています。
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庭内にはリンガーが日本最初のテニスコートを
つくり、グラバーの息子や外商たちの2世が
スポーツで汗を流しました。
晩年、心臓を患ったリンガーが坂の下から自宅まで
人力車が通れるように舗装された日本最初期の
アスファルト道路も残っています。
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このマークを知ってるオカルト好きな人はびっくり
するのではないでしょうか。
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刻まれている彫刻はフリーメーソンのマークで
コンパスと定規を組合わせています。
一説には坂本龍馬も所属していて薩長同盟など
大役を一人では厳しかろうと裏ではフリーメイソン
が動いていたとかいわれています。
信じるか信じないかはあなた次第ですーー
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ー旧オルト住宅(国指定重要文化財)ー
長崎に現存する最大の石造洋館。施工は大浦天主堂
や旧グラバー邸を手掛けた小山秀之進。
天草の砂岩を基礎に、ベランダには簡素な
トスカーナ様式の列柱が並びます。
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長崎の女性豪商大浦慶と手を携え、緑茶の輸出で
財をなしたウィリアム・ジョン・オルト氏の住宅です。
オルトが大阪に移住した後にリンガー一家が暮らし
た経緯から室内ではリンガー家が使っていた家具が
数多く残されています。
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オルトは土佐藩との関係が深く、土佐藩はオルト
商会から多くの船や武器を購入しています。
1867年(慶応3)に起こった”いろは丸事件”のときも
坂本龍馬は後藤象二郎・岩崎彌太郎と共にオルトを
尋ねました。
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ー旧ステイル記念学校ー
東山手9番に建てられたミッション系の木造洋風建築
の学校。グラバー園移築前は海星学園の寄宿舎
として使用されていました。
ーー木造2階建、寄棟造、玄関正面上は3階建
中廊下式
学校建設に資金を寄贈した宣教師W・H・スティール
が名前に由来しています。
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作業を行っていましたが、見学は可能でした。
柱のある広い部屋にはグラバーや岩崎彌太郎が人物
相関図でわかりやすく解説しています。
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園内の中央、三浦環・プッチーニ像前のオープン
テラスのグラバーカフェは花と緑を楽しみながら
園内散策に疲れた際の休憩スペースとして人気です。
明治の長崎を舞台にしたオペラ
「マダム・バタフライ」はイタリア人作曲家
ジャモコ・プッチーニの傑作です。
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ー旧自由亭ー
明治11年に諏訪神社(馬町)に建てられた西洋料理店
を移築した喫茶室です。
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店主であった「西洋料理の父」”草野丈吉”は出島の
オランダ商館で働き、日本で最初の西洋レストラン
良林亭(りょうりんてい)を開きました。
そのため、わが国の西洋料理発祥の地に認定されて
います。
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◆Pick up◆
旧グラバー住宅
築造年:1863年(文久3)
築造主:トーマス・ブレーク・グラバー
構造:木造平屋建、寄棟造桟瓦葺
◯昭和36年国指定重要文化財に指定
◯明治日本の産業革命遺産
◯日本最古の木造洋風建築
長崎製鉄所を見下ろせる位置に、大浦天主堂の建築
を請け負った棟梁小山秀之進が設計しました。
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建設当初はL字型の平屋で周囲がベランダで囲まれて
いましたが、度々の増改築により現在の形になりま
した。
模型で見ると全体像がよくわかります。
屋根は日本瓦で覆われ、壁は伝統的な土壁。
日本の伝統的な建築技術とイギリス風のコロニアル
様式が融合した建築です。
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木造菱格子の天井を持つ広いベランダが素敵です。
玄関として使用されていたと予想される温室の中は
後ろ姿で見ずらいですが狛犬が一対います。
ーーキリンビール社のラベルのもとになったものと
言われています
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なんとなくわかるーートーマス・ブレーク・グラバー
Thomas Blake Glover / 1838-1911
1838年にスコットランドのアバディーン近くの
漁村に生まれる。アバディーンの羊毛製品製造
会社の代理人として中国に渡り21歳で
「ジャーディン・マセソン商会」入社。
⇩
安政の開港と同時に来日し、貿易業を生業と
するグラバー商会を設立。長崎に兄弟や親せき
まで移り住み、25歳の時に長崎湾を見下ろす
場所にグラバー邸を設ける。
ーージャーディン・マセソン商会の長崎代理店
として独立
⇩
薩長同盟の密約で両藩に武器を輸入すること
を約束し、亀山社中の後ろ盾として物資手配
した。
薩摩・長州・土佐や幕府問わず軍艦や武器を
取引し長崎最大の貿易商となる。
ーー近代化に向かう坂本龍馬をはじめ志士達
を資金面で援助し、陰で支えた
⇩
江戸幕府が崩壊し、諸藩からの資金回収が難し
くなり、莫大な負積を抱える。
1870年(明治3)グラバー商会倒産。
ーー見越しで大量の武器を仕入れたが、大きな
内戦にならなかったため、大量の武器在庫
により破産
⇩
1868年(明治元年)佐賀藩と共に日本最古の大手
資本による高島炭鉱を開設。
その後、三菱の創業者である「岩崎彌太郎」
によって買収され、三菱の従業員として所長に
就く。
ーー五代友厚の紹介で「お蝶夫人」のモデルと
なった芸者のツルと結婚
⇩
1885年(明治18)長崎から東京に移り住み三菱
財閥の相談役に就任。現在のキリンビールの
前身となる”ジャパン・ブルワリー・カンパニー”
の創業に携わり、明治27年には社長を務める。
ーーその後三菱に売却し、”麒麟麦酒株式会社”
と社名を新たにする
⇩
1908年(明治41)日本の近代化やこれまでの
功績から外国人としては異例の
”勲二等旭日重光章”を受賞。
1911年(明治44)腎臓炎で他界ーー享年73
ーー長崎にある坂本国際墓地に妻のツルと共に
眠る
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室内は西洋風の造りになっています。
正面玄関を設けないクローバー型の建築は
南国のバンガローをイメージしています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC02747-e7256.jpg)
戦後グラバー邸で暮らした進駐軍の大佐婦人は
旧グラバー邸から望む景色と物語に登場する景色が
よく似ていたことから
「マダム・バタフライ・ハウス」と愛称をつけました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC02787.jpg)
順路通りに進むと最後に長崎伝統芸能館
を通ります。長崎の秋の祭り「長崎くんち」
に使用される豪華な飾りが展示されています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC02768.jpg)
グラバー園内の見所は旧グラバー住宅だけでは
ありません。
海外の貿易商など長崎の歴史と共に歩んできた
足跡を辿れます。
今回は貴重な建物に夢中で見逃していましたが
グラバー園内には見つけると恋の願いが叶うと
噂のハートストーンがあります。
地図と見比べながら探すときっと楽しいですよ!
住所:長崎県長崎市南山手町8番1号
TELL:095-822-3359
開園時間:8時00分~18時00分
(受付は17時40まで)
定休日:なし
入園料:大人¥610
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01808-597ba.jpg)
ー十六番館ー
昭和34年、東山手十六番地より現在地の南山手町
へ移築されました。
旧グラバー邸と並べ、日本で最も古い木造の洋館
であるといわれています。
当初、この建物は長崎初代アメリカ領事館館員
宿泊所として1860年に建てられました。
現在は歴史資料館としてグラバーやシーボルト
の愛用品やキリシタン資料が常設展示しています。
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ー坂本国際墓地ー
長崎に渡った外国人やその家族が眠っています。
地元の人でもよく知られていないようなスポットです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01787-55918.jpg)
長崎を第二の故郷とし、日本の近代化に大きな役割
を果たしたトーマス・ブレーク・グラバーが眠って
います。
墓石の前のお供え物はキリンビール。ビールを愛し
たグラバーにはお決まりですね。
2004年(平成16年)にはグラバー夫妻の墓碑が
長崎市の史跡に指定されました。
住所:長崎県長崎市目覚町26
TELL:095-822-8888
開放時間:8時00分~18時00分
定休日:なし
参拝料:無料
関連サイト:http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0203/index3.html
四海樓ーーGourmet
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01823-7df4e.jpg)
創業明治32年の長崎ちゃんぽん発祥のお店。
グラバー園や大浦天主堂に近くにあるので観光の後
のランチやディナーなど利便性に優れています。
「ちゃんぽん」は明治時代に長崎で生まれた食べ物
です。
四海楼の初代陣平順が長崎に来ていた中国人留学生
のためにうまくて、ボリュームがあり、栄養価が高
く安価なメニューを考案しました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01825.jpg)
新鮮な魚介類をふんだんに使ったコクのあるスープ
は中国人だけでなく、日本人にも人気を呼びました。
さらに「皿うどん」も四海楼初代陣平順がちゃん
ぽんのバリエーションとしてちゃんぽん麺を強火
で焼いてたっぷりの野菜を炒めて創った料理です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01834.jpg)
まず建物に驚かされます。大型のビルのような出で
立ちです。
1階はちゃんぽん、皿うどんをはじめ、長崎の名産品
が取り揃えられています。
5階の展望レストランの窓際の席からは夜景が望め
ますが人気のため、すぐに満席になります。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01832.jpg)
2階にはちゃんぽんミュージアムが併設されており
100年以上ちゃんぽんと歩んできた足跡と長崎
ちゃんぽんのルーツが展示されています。
3~5階はホールやお座敷、宴会場と言った広い
スペースで食事が楽しめる空間が広がっています。
ちゃんぽんの本家のため、収容力が高いにも関わ
らず連日行列ができることも多いそうです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01827-03673.jpg)
「ちゃんぽん」¥1,080
次に料理の味に驚きます。
こんなに魚介出汁が効いたクリーミーで優しい
スープは初めてです。モッチモチな麺とたっぷり
の野菜が食欲を掻き立てます。
皿うどんや他の料理も食べたいのなら
2人以上で訪れてシェアすることをオススメします。
ラーメンばっかり食べてきましたが、ちゃんぽんの
奥深さに惹かれ鞍替えしそうになりましたーー
ちなみにチェーン店の”リンガーハット”は
長崎居留地に住んでいたリンガーさんをイメージ
キャラとして採用されています。
TELL:095-822-1296
営業時間:11時30分~15時00分
17時30分~21時00分
(L.O20時00分)
休業日:不定休
駐車場:有(敷地内コインパーキング)
関連サイト:http://shikairou.com/
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01839-4eb34.jpg)
ー我が国鉄道発祥の地ー
日本初の鉄道開業は1872(明治5)年9月12日
鉄道が開業した区間は東京・新橋(現在の汐留付近)
から横浜(現在の桜木町駅)まで。
10月14日が「鉄道の日」というのは鉄道好きには
常識ですね。
しかし、我が国鉄道発祥の地はここーー長崎にあり
ます。
1865年(慶応元年)英国人貿易商トーマス・グラバー
が長崎県長崎市新地町6丁目、長崎市立市民病院付近
から松ヶ枝橋方向にレールを敷き、デモンスト
レーションとして英国製の蒸気機関車アイアン
・デューク号の試乗運転を行いました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01819-953d8.jpg)
ーわが国ボウリング発祥の地ー
四海樓正面近くにあるステンドグラスでピンを
描いた記念碑があります。
日本最古のボウリング場は1861年(文久元年)
6月22日の日付でボウリング・サロン開店の広告
が掲載されました。
これにより、6月22日がボウリングの日として広ま
りました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC01818.jpg)
ー長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館ー
1896年(明治29)に香港上海銀行長崎支店の新社屋
として建築家ーー下田菊太郎が設計した唯一現存
する建物です。国指定重要文化財
長崎支店が閉鎖された後は警察署や資料館などに
利用されました。その後、建物の保存修理を行い
記念館として開館。
長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアムが
併設し、リニューアルオープンしました。
総括ーーSummary
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/01/DSC02772.jpg)
日本の近代化に貢献したトーマス グラバー
亀山社中を設立した坂本竜馬
三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎
海外との交易のパイオニアである3人が出会った
この頃より日本のビジネスの海外進出がはじまり
ました。
ここ長崎に日本のCOMPANYの源流を見ました。
太宰府天満宮にある麒麟像を気に入ったグラバー
は譲ってほしいと願い出るが、ついぞ手に入れる
ことは叶いませんでした。
また、お馴染みのキリンビールのロゴは太宰府天満
宮にある麒麟像をモチーフにした説と旧グラバー邸
の温室にある狛犬がモチーフになっているという説
があります。
麒麟の口ひげはグラバーさんの口ひげをもとにした
と言われています。
さらに坂本龍馬を指しているというという説が
まことしやかにささやかれています。
(次回)ーー死ぬ前にみたい夜景