大田ーー国内唯一、銀山の世界遺産 Oda
羅漢寺ーーTemple
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緑ーー前回の”龍源寺間歩”までの道程
赤ーー今回の街歩き散策
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石見銀山公園から龍源寺間歩の反対側。歩いて3分
190m先にある「羅漢寺」
一番に羅漢像が安置されている五百羅漢の橋を渡り
たいところですけどーー
さすが世界遺産、お金が掛かります。まずは参拝
受付所へgo!
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なぜか銭洗い弁天を見つけるとやりたくなってしま
います。お参りに比べてリスクがないからかな…
ーー弁天様が持ってるものはサイコガンのように
見えますがお銚子のようなものです
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1円から500円までの硬貨合わせて666円。
ーー別にフリーメイソン意識してるわけじゃない
ですよ
穴の開いたお金を持ち合わせてなかったので610円
を池で洗います。洗った硬貨は使う時間が早ければ
早いほどいいらしいです。金運アップしないかなー
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指定文化財「大元帥明王」が御開帳していました。
本堂内は撮影禁止なのでここまでですが、色鮮やか
で精巧に作られていて迫力あります。
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◆Pick up◆
羅漢寺 五百羅漢(らかんじ ごひゃくらかん)
創建:1764年(明和元年)月海浄印によって完成
宗派:高野山真言宗
◯石工坪内平七、その子及び一門が約20年かけて彫像
◯五百羅漢とは、お釈迦様に従っていた五百人の弟子のこと
◯2007年(平成19年)「石見銀山遺跡とその文化的景観」で世界遺産に登録
銀山でお亡くなりになった人や祖先の霊を供養する
ため25年の歳月をかけて1766年に完成。501体の
羅漢像が安置されています。
「必ず誰かの顔に似ている石像がある」ということ
から亡くなった父母や我が子に会えると言われ
昔から近郷近在から参拝されています。
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ー反り橋ー
石窟と羅漢寺を結ぶ三つの反り橋(そりばし)は創建
当時から変わらない姿で現在まで残っていて石工
技術の高さが伺えます。苔むした石窟との情景が最高です。
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ー不動堂ー
拝観入口には「不動堂」
その隣に五百羅漢が建立される以前から流れる
三百水と呼ばれる湧き水がこんこんと湧いています。
この水を銀山で”一荷三百文”で売り歩いたことから
三百水という名が付きましたーー島根の名水100選
にも選ばれています。
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不動堂からスライド移動して左窟に入ります。
自分に似ている顔を探そうとしましたが、開始5分で
ギブアップです。
250体の中から探し出すなんて無謀でした(汗)
それぞれ喜怒哀楽を表現していて隣と内緒話をして
いたり、音楽を奏でていたりと姿勢が違っていて
見ていて飽きることがありません。
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中央窟には「石造釈迦三尊像」
五百羅漢と違い、雨風に長年さらされているにも
関わらず色彩やデフォルトが崩れていないため
保存状態が良好です。
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右窟にも250体。石窟全て合わせて501体の石仏が
安置されています。扉を開けたら言葉を失います。
小さい子供は泣きだすかもしれませんね(笑)
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反対側の反り橋から出ます。
石見の石工技術の高さを表した遺跡で五百羅漢も
手抜きなしのプロフェッショナルな技術の粋が
集っています。
ちなみに、団体等で予約すれば本堂まで案内して
もらって法話などを聞くことができます。
城上神社ーーTemple
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江戸情緒を感じられる武家・町家ゾーンをゆるりと
散策していきます。
雨がぽつぽつと降っていてレトロ感が増して
ノスタルジックな雰囲気です。
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大森の町並みを北側にまっすぐ歩いていくと赤い
ポストの郵便局が見えます。
そのまま通り過ぎて代官所跡(石見銀山資料館)まで
行くと城上神社(きがみじんじゃ)の鳥居と石段が
見えてきます。
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祭神は「大国主神(オオクニヌシノミコト)」石見
銀山と大森町両方の氏神です。
1800年(寛政12年)の大火で消失しましたが
1812年(文化9年)に社殿を再建しました。
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拝殿正面10.2m、側面11.8m
屋根は二重破風になっていて上から千鳥破風、唐破
風という江戸の亀戸天満宮様式の建物だと伝えら
れていますーー県指定有形文化財に登録
拝殿の鏡天井には、三瓶山近くの絵師であった梶谷
円隣斎守休によって極彩色の「鳴き龍」がダイナ
ミックに描かれています。
この龍の絵天井の真下に立って手を叩くと天井が
共鳴して鳴り響きます。「ベーン、ベーン」と
龍が鳴いているかのように聞こえることから
”鳴き龍の天井”と呼ばれています。
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格天井の升目ごとに紋づくしが描かれています。
大火後に再建するために寄進した当時の家紋が並べ
られていて清水寺にも見られる特徴です。
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これは天井が少し窪んでドーム状になっているため
に起きるギミックで太田市指定文化財となっています。
ーーあまり知られていないのか、絵天井を見るだけ
で満足する人が多いようです
石見銀山資料館ーーMuseum
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石見銀山のことがさらによくわかるーー大森代官所
跡に建てられた「石見銀山資料館」
世界遺産センターと一緒に訪れてほしい場所です。
1815年(文化12年)に建てられた現存する表門と門長
屋は全国的にも希少です。陣屋の遺構は1969年
(昭和44年)に国の史跡として登録されました。
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資料館として開館したのは1976年(昭和51年)。
明治時代の近代建築として石見銀山の技術や
暮らしを紹介する施設になっています。
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館内は撮影不可。展示物は主に鉱山資料、鉱物標本
など約300点が公開されています。
エントランスは天井が高く開放感があり、明治時代
の長屋の名残が残っています。
また、世界遺産センターと入場券の相互割引が可能です。
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
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石見銀山資料館の裏手、左手に坂が続いていて
登っていくと「勝源寺」が見えます。
事前予約のみですが本堂と宝物の内部拝観が可能です。
銀山奉行代官の位牌、東照宮に家康公を初め12代
将軍までの位牌を安置。
欄間彫刻、家康と将軍図、羅漢図、キリシタン地蔵
マリア像などが展示されています。
ーー入館料:大人400円、子供100円
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モダンな白塗りの門柱に赤い石州瓦、洋風建築の
面影を残す明治建築です。
1890年(明治23年)から昭和20年初めまで裁判所
として利用されていました。
現在は町並み交流センターとして短時間で見られる
大森の歴史のビデオコーナージオラマが設置しています。
総括ーーSummary
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銭洗弁天の発端は”源頼朝”と”北条時頼”です。
源頼朝が見た夢に「この水で神仏を祀ると天下
大平の世になる」というお告げを聞いたこと
により泉を発見。
その後、北条時頼が自身の銭をその泉で洗い一族
繁栄を願ったことにならってお金を洗うという
おもしろい風習が全国に広まりました。
世界遺産登録から10周年を迎えた”大森の町並み”は
一般的な城下町とは異なり明確な町割りをして
いないため、商家と武家が混在する曖昧な町家が特徴です。
(次回)ーーまだ続く石見の町散策ーー
最高評価「オール5」の温泉で芯から
ぽかぽか♪