南九州ーー薩摩の小京都 Minamikyusyu
知覧特攻平和会館ーーMemorial
ーーまずはじめに
第二次世界大戦末期の沖縄戦において戦況が悪化
した日本軍が、「特攻」という人類史上類のない
作戦で起死回生を狙いました。
知覧は特攻作戦により国内で最も多くの特攻隊員
が飛び立った知覧飛行場があった場所です。
特攻隊員で亡くなった人1,036人。
そのうち実に439人がここ知覧から飛び立って行き
ました。
ーーその多くは20歳前後の少年
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00566-a02a0.jpg)
そして目的は、日本本土への総攻撃の時間を少し
でも遅延させることで家族や国民、天皇陛下の平和
と未来を守ること。そのために片道分しかない燃料
を積み、特攻突撃していきました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00578.jpg)
知覧特攻平和会館では、特攻隊員たちの遺書や遺影
などを展示しています。特に遺書は10代とは思え
ないほど達筆です。
私より年下でまだあどけさが残る少年の特攻前日
に撮った写真は全員笑顔です。
お国のために命を捧げる誇らしさなのか、本心を
隠して無理に笑っているのかは私には想像が
できません。
ーー展示室や講和室は写真撮影禁止です
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00570.jpg)
零式戦闘機52丙型。
昭和55年6月12日。35年ぶりに引き揚げられた
この飛行機は昭和20年5月沖縄戦作戦中エンジン
トラブルで不時着したものです。
鹿児島県薩摩郡下甑村手打港沖合に不時着した
情報をもとに知覧町に引き上げを呼びかけました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00574.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00576-d5588.jpg)
座席や燃料必要最低限しか搭載されず極限まで
軽量化されたことが見て取れます。
戦闘機が海底で発見されたときは多くの海洋生物
の住処になっていて、サンゴや魚たちのパラダイス
となっていました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00558-641c2.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00560-3868f.jpg)
外では、特攻隊員の宿舎が再現されています。
敵の目から隠すため、半地下壕のような造りで
屋根には木や枝を被せ偽装してありました。
全国各地から集まった特攻隊員は特攻作戦まで
ここで宿泊していたそうです。
出撃の前夜には、兵舎で壮行会が行われ、お酒を
汲みかわしながら隊歌を歌い、薄暗い裸電球の下
で遺書を書いて、翌日雲の彼方に消えていきまし
た。
ーー枕に顔を埋め、泣き声を押し殺して夜を過ごす
隊員も少なくありませんでした
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00577-04119.jpg)
遺影や遺書を一人一人じっくり見ていくと
到底1日では収まりません。
お国のためにその若い命を捧げた隊員。
その覚悟に対し、今の日本は胸を張れるような
国になっているでしょうか。
弱いものが虐げられて犠牲になる世の中
になっていないでしょうかーー
よくこんなに残ってたなっていうくらい
膨大な資料の数々。日本人なら回天の島
と共に1度は行った方がよい場所です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00564.jpg)
1955年(昭和30年)に特攻平和観音堂として建立
されました。
特攻隊員の殉国精神の顕彰と世界の恒久平和の祈念
に勇士の英霊を祀っています。
内部には大和法隆寺の夢殿に奉安してある秘仏
“夢ちがい観音像”の金銅像が特別な許可を得て
安置されています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00595-09a48.jpg)
ー給水塔跡ー
1941年(昭和16)飛行学校の使節として建設。当時
の状態のまま残っている唯一の施設です。飲料水
や飛行機の整備に使用していました。
ーー町指定文化財
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00592.jpg)
ー防火水槽跡ー
4基ほどあったと伝えられていますが、現在1基
しか残っていません。お椀型に地面を掘り砂利
を敷き、コンクリートで固めた簡易な構造です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00598.jpg)
ーホタル館富屋食堂ー
富屋食堂で特攻隊員の世話をし、隊員たちから母親
と呼ばれ慕われた「鳥濱トメさん」
資料館になっており、トメさんが隊員たちから頂い
た形見の品、トメさんが隊員のご遺族に宛てた手紙
を見ることができます。
兵士ではなく一人の少年として若い隊員たちの本音
や悩み、その他様々な想いを吐き出せる場所は貴重
だったことでしょう。
住所:鹿児島県南九州市知覧町郡17881番地
TELL:0993-83-2525
営業時間:9時00分~17時00分
(入館は16時30まで)
休業日:年中無休
入館料:大人¥500 小人¥300
知覧武家屋敷通りーーStreet
ホタル館富屋食堂の通りから役場前の信号を
右折したところに武家屋敷庭園群の入口が
あります。
ーー庭園見学の際は入園料が必要です
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00603.jpg)
◆Pick up◆
知覧麓庭園
名称:南九州市知覧伝統的建造物群保存地区
規模:面積ー18.6ha=0.186㎢
延長ー0.8㎞
◯国指定文化財(昭和56年11月30日)
◯1986年(昭和61)「日本の道百選」「手づくり郷土賞」受賞
江戸時代、薩摩藩は藩内を113の外堀(郷)
と呼ばれる行政区画に分け武家集落を形成して
統制していました。
それらの集落を「麓(ふもと)」といいます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00639-58bdc.jpg)
知覧もその麓の一つで武家屋敷が連なり石垣
とイヌマキの生垣に囲まれた700mにわたる
鹿児島に残る麓の代表的な景観を伝えています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00605-f2795.jpg)
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/1024px-Chiran_Samurai_Residence02.jpg)
「西郷恵一郎庭園」
知覧の庭園は門をくぐると石組みの壁にぶつかる
特徴があります。これは敵が攻めにくいように
城郭の枡形虎口にも見られます。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00608.jpg)
折れ曲がった本馬場通りから腕木門や石柱柱
が覗き、屋敷には枯山水様式などの7庭園が
「知覧麓庭園」として国の名勝(史跡名勝天然記念物)
に指定されています。
大河ドラマ「西郷どん」のロケ地
第1話ーー妙円寺詣りのシーン
甲冑で走る子供たちが見えるようです。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00615-60735.jpg)
「旧高城家住宅」
明治以前に建てられた武家住宅。
2つの屋根の間に小棟を置く知覧独自の手法が
見られます。
ーー無料で公開されています。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/src_51422866-2.jpg)
「森重堅庭園」
亀甲城の麓に位置する唯一の池泉庭園。
大河ドラマ「西郷どん」のロケ地
第4話ーー赤山靱負が切腹するシーン
はこの庭で撮影されました。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00630-f3fc9.jpg)
知覧武家屋敷通りは情緒があるため有料の庭園観覧
以外にも歩くだけで楽しむことができます。
箱庭のような通りのある風景は江戸時代に
タイムスリップしたかのように感じるスポットです。
住所:鹿児島県南九州市知覧町郡13731-1
TELL:0993-58-7878
営業時間:9時00分~17時00分
定休日:年中無休
観覧料:大人¥530 小人¥320
そば茶屋吹上庵 知覧店ーーGourmet
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00633-4c809.jpg)
鹿児島で有名なチェーン店ながらどの店舗
でも安定感のある茹で立てのそばを提供しています。
茅葺屋根と水車は他4店舗にしかありませんが
雰囲気の良い古民家のようなお店で食べるそば
は絶品です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00634.jpg)
「板そば」¥680
鹿児島産のかつお節でとった出汁を合わせた
オリジナルの甘いつゆと一緒に香りの強い
蕎麦を勢いよくすすります。
量も多くコスパに優れるのど越しの良いそば
はチェーン店とは思えないほど上品な味です。
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00636-6f690.jpg)
食べ放題が嬉しい「大根の一夜漬け」は料理を
待つ間ついついお替りしてしまいます。
知覧武家屋敷通り無料駐車場のすぐ近くにあり
観光帰りに立ち寄るのにオススメします。
総括ーーSummary
![](https://yashizaru.com/wp-content/uploads/2020/08/DSC00583.jpg)
特攻機は、遂に帰って来ませんでした。
国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら
勇士は征ったにちがいありません。
当時の日本の軍用機の名称は採用年次の
”皇紀”の下2桁を冠する規定がありました。
零戦の制式採用された1940年(昭和15年)
は皇紀2600年にあたり、その下2桁の「00」
零式艦上戦闘機、すなわち【零式」と命名されました。
極限まで軽量化された機体は採用当初はベテラン
パイロットの力量もあり、戦闘機や撃墜し戦果を
挙げていきました。
ーーゼロと遭遇した際は命令を背いてでも逃げて
よいと言われていた逸話があります
しかし、性能に勝る米軍戦闘機の”一撃離脱”
戦法の導入により、開戦から1年後には旧式化
していきました。
日本の”お国のために戦う”思想に対してアメリカ軍
が最も大事にしたものは人命、パイロットの命でした。
熟練パイロットを多く失ったことにより日本軍は
1944年の総力戦で挑んだレイテ沖海戦において
壊滅的な打撃を受け、敗戦が濃厚となりました。
私たちと遺影に映っている人たちと何が違うの
でしょうか。戦争の有無。ただそれだけーー
生まれた時代が違うだけで平和の世を見ることなく
人生の全てを戦争に費やした世代がいます。
戦争を知らない世代の多い中、戦争によって
生まれたもの、得られたものはなんだったのでしょうか。
むしろ、人や家、誇り。戦争によって失った
ものの方が戦勝国も敗戦国も遥かに甚大だった
と思います。
(次回)ーーひと月のうち35日は雨が降る島