【グラバー園】in長崎7ーー外国人居留地の境界を越えて開港当時の雰囲気を楽しむ

長崎ーーNagasaki
長崎ーー平和と祈りの都市 Nagasaki

グラバー園ーーGarden

オランダ坂からグラバー園への道のりは緩い坂が
続きます。
 
”オランダさんが通る坂”として開国後も長崎の人が
オランダ坂」と呼んでいたことが由来となって
います。
 
がっかり名所なんて言われていますが、単体で見な
いで周りの建物や環境も併せて見ると異国情緒の
風景に溶け込んでいてこれほどオランダ坂という
名前がしっくりくる名所はありません。
 
居留地は伝統的建造物群保存地区になっていて
明治期の姿をとどめています。
 
塀や屋根は日本風、外観は西洋風と建物の造りが
神戸の”北野異人館”と非常に似ています。
 
長崎は坂が多く、居留地と長崎港が一望できる
ナポリのように美しい風景です。
かの有名な坂本龍馬は亀山社中を長崎で結成し
「墓、坂、バカ」と言っています。
 
これはバカみたいにお人好しが多いという意味とも
捉えられ実際に私も長崎県民の温かい心に触れました。
 
道に迷ってしまい、道行く人に聞いたところ、心配
だからと途中まで一緒についてきてくれました。
ーー自転車に乗ってると物珍しそうに見られます
  けどね…
 
小さな路地。石の坂。中世の町並みかジブリの世界
みたいで朝のさるく(散歩)にぴったりの長崎市です。
ーー迷いやすいですが(汗)
 
さてーー
大浦天主堂を見やりながらグラバー園に到着。
髭のエンブレムがお洒落です。お土産に欲しく
なってしまいます。
 
第一ゲートで入園料を払い、動く歩道に乗って上へ
上へと行きます。
 
グラバー園内では石畳の道を辿りながら、長崎市内
に点在していた異国情緒溢れる建物を移築し公開
しています。
 
グラバー園は長崎を代表する観光地として
マスコットのさるくちゃんが出迎えてくれます。
ーーさるくとは「ぶらぶら歩く」という意味
  の長崎弁
 
明治時代の水道共用栓
長崎市の水道は明治24年に完成しました。
イギリス人技師J・W・ハートをリンガーが呼んで
日本3番目となる近代的な水道を設計しました。
 
居留地時代、土地は地番と呼ばれるエリアで区画
されていました。地番と地番の境界を示す石柱が
建てられていてその名残が居留地内に残っています。
 
旧三菱第2ドックハウス
明治29年に建築された西洋風建築。移築復元した
建物で船が造船所で修理などをしている間の船員達
の宿泊施設として使用されていました。
 
2階のベランダからはまるでスイートルームのような
景色が広がっていて最高です。
タイミング良いと豪華客船の停泊が見られます。
 
旧リンガー住宅(国指定重要文化財)ー
フレデリック・リンガーはグラバー商会に務め
交際交流長崎居留地の発展に尽力した実業家です。
 
軒の深いベランダで囲まれたバンガロー風の日本
では例の少ない木骨石造りの洋風住宅。
ーー平屋建ベランダ付、寄棟造桟瓦葺
 
ベランダの床石はウラジオストクから運んだ御影石
ベランダの屋根を支える角柱には天草の石を使用
しています。
 
リンガーは3階建てレンガ造りの「ナガサキホテル」
を開業を行っており、東洋一壮大なホテルと言われ
ていました。
 
ヨーロッパではマダム・バタフライとして有名な
オペラ歌手喜波貞子(きわていこ)に関する衣装や
大事にしていた小道具などが展示されています。
 
庭内にはリンガーが日本最初のテニスコート
つくり、グラバーの息子や外商たちの2世が
スポーツで汗を流しました。
 
晩年、心臓を患ったリンガーが坂の下から自宅まで
人力車が通れるように舗装された日本最初期の
アスファルト道路も残っています。
 
このマークを知ってるオカルト好きな人はびっくり
するのではないでしょうか。
 
刻まれている彫刻はフリーメーソンのマークで
コンパスと定規を組合わせています。
 
★TOPICS★

フリーメーソン
中世ヨーロッパの数々の大聖堂を建てた石工の
職業団体から始まり18世紀初めにイギリスで結成された。
啓豪主義精神のもとに博愛・自由・平等の実現
を目指す世界的規模の団体で会員数は600万人を超える。

世界最大の秘密結社”フリーメイソン”謎が多く
歴史の重大な陰謀に結び付けられるなど人々を惹きつけてやまない

 
一説には坂本龍馬も所属していて薩長同盟など
大役を一人では厳しかろうと裏ではフリーメイソン
が動いていたとかいわれています。
信じるか信じないかはあなた次第ですーー
 
旧オルト住宅(国指定重要文化財)ー
長崎に現存する最大の石造洋館。施工は大浦天主堂
や旧グラバー邸を手掛けた小山秀之進。
 
天草の砂岩を基礎に、ベランダには簡素な
トスカーナ様式の列柱が並びます。
 
長崎の女性豪商大浦慶と手を携え、緑茶の輸出で
財をなしたウィリアム・ジョン・オルト氏の住宅です。
 
オルトが大阪に移住した後にリンガー一家が暮らし
た経緯から室内ではリンガー家が使っていた家具が
数多く残されています。
 
オルトは土佐藩との関係が深く、土佐藩はオルト
商会から多くの船や武器を購入しています。
 
1867年(慶応3)に起こった”いろは丸事件”のときも
坂本龍馬は後藤象二郎・岩崎彌太郎と共にオルトを
尋ねました。
 
旧ステイル記念学校
東山手9番に建てられたミッション系の木造洋風建築
の学校。グラバー園移築前は海星学園の寄宿舎
として使用されていました。
ーー木造2階建、寄棟造、玄関正面上は3階建
  中廊下式
 
学校建設に資金を寄贈した宣教師W・H・スティール
が名前に由来しています。
 
作業を行っていましたが、見学は可能でした。
柱のある広い部屋にはグラバーや岩崎彌太郎が人物
相関図でわかりやすく解説しています。
 
園内の中央、三浦環・プッチーニ像前のオープン
テラスのグラバーカフェは花と緑を楽しみながら
園内散策に疲れた際の休憩スペースとして人気です。
 
明治の長崎を舞台にしたオペラ
「マダム・バタフライ」はイタリア人作曲家
ジャモコ・プッチーニの傑作です。
 
旧自由亭
明治11年に諏訪神社(馬町)に建てられた西洋料理店
を移築した喫茶室です。
 
店主であった「西洋料理の父」”草野丈吉”は出島の
オランダ商館で働き、日本で最初の西洋レストラン
良林亭(りょうりんてい)を開きました。
 
そのため、わが国の西洋料理発祥の地に認定されて
います。
 
◆Pick up◆

旧グラバー住宅

築造年:1863年(文久3)
築造主:トーマス・ブレーク・グラバー
構造:木造平屋建、寄棟造桟瓦葺

◯昭和36年国指定重要文化財に指定

明治日本の産業革命遺産

日本最古の木造洋風建築

 
長崎製鉄所を見下ろせる位置に、大浦天主堂の建築
を請け負った棟梁小山秀之進が設計しました。
 
建設当初はL字型の平屋で周囲がベランダで囲まれて
いましたが、度々の増改築により現在の形になりま
した。
 
模型で見ると全体像がよくわかります。
屋根は日本瓦で覆われ、壁は伝統的な土壁。
日本の伝統的な建築技術とイギリス風のコロニアル
様式が融合した建築です。
 
木造菱格子の天井を持つ広いベランダが素敵です。
玄関として使用されていたと予想される温室の中は
後ろ姿で見ずらいですが狛犬が一対います。
ーーキリンビール社のラベルのもとになったものと
  言われています
 
なんとなくわかるーートーマス・ブレーク・グラバー

Thomas Blake Glover / 1838-1911
1838年にスコットランドのアバディーン近くの
漁村に生まれる。アバディーンの羊毛製品製造
会社の代理人として中国に渡り21歳で
「ジャーディン・マセソン商会」入社。
         ⇩
安政の開港と同時に来日し、貿易業を生業と
するグラバー商会を設立。長崎に兄弟や親せき
まで移り住み、25歳の時に長崎湾を見下ろす
場所にグラバー邸を設ける。
ーージャーディン・マセソン商会の長崎代理店
  として独立
         ⇩
薩長同盟の密約で両藩に武器を輸入すること
を約束し、亀山社中の後ろ盾として物資手配
した。
薩摩・長州・土佐や幕府問わず軍艦や武器を
取引し長崎最大の貿易商となる。
ーー近代化に向かう坂本龍馬をはじめ志士達

  を資金面で援助し、陰で支えた
         ⇩
江戸幕府が崩壊し、諸藩からの資金回収が難し
くなり、莫大な負積を抱える。
1870年(明治3)グラバー商会倒産。
ーー見越しで大量の武器を仕入れたが、大きな
  内戦にならなかったため、大量の武器在庫
  により破産
         ⇩
1868年(明治元年)佐賀藩と共に日本最古の大手
資本による高島炭鉱を開設。
その後、三菱の創業者である「岩崎彌太郎」
によって買収され、三菱の従業員として所長に
就く。
ーー五代友厚の紹介で「お蝶夫人」のモデルと
  なった芸者のツルと結婚
         ⇩
1885年(明治18)長崎から東京に移り住み三菱
財閥の相談役に就任。現在のキリンビールの
前身となる”ジャパン・ブルワリー・カンパニー”
の創業に携わり、明治27年には社長を務める。
ーーその後三菱に売却し、”麒麟麦酒株式会社”
  と社名を新たにする
         ⇩
1908年(明治41)日本の近代化やこれまでの
功績から外国人としては異例の
勲二等旭日重光章”を受賞。
1911年(明治44)腎臓炎で他界ーー享年73
ーー長崎にある坂本国際墓地に妻のツルと共に
  眠る
 
室内は西洋風の造りになっています。
正面玄関を設けないクローバー型の建築は
南国のバンガローをイメージしています。
 
戦後グラバー邸で暮らした進駐軍の大佐婦人は
旧グラバー邸から望む景色と物語に登場する景色が
よく似ていたことから
「マダム・バタフライ・ハウス」と愛称をつけました。
 
順路通りに進むと最後に長崎伝統芸能館
を通ります。長崎の秋の祭り「長崎くんち」
に使用される豪華な飾りが展示されています。
 
グラバー園内の見所は旧グラバー住宅だけでは
ありません。
海外の貿易商など長崎の歴史と共に歩んできた
足跡を辿れます。
 
今回は貴重な建物に夢中で見逃していましたが
グラバー園内には見つけると恋の願いが叶うと
噂のハートストーンがあります。
地図と見比べながら探すときっと楽しいですよ!
 
住所:長崎県長崎市南山手町8番1号
TELL:095-822-3359
開園時間:8時00分~18時00分
     (受付は17時40まで)
定休日:なし
入園料:大人¥610 

関連サイトhttps://http://www.glover-garden.jp/

 
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
十六番館
昭和34年、東山手十六番地より現在地の南山手町
へ移築されました。
旧グラバー邸と並べ、日本で最も古い木造の洋館
であるといわれています。
 
当初、この建物は長崎初代アメリカ領事館館員
宿泊所として1860年に建てられました。
現在は歴史資料館としてグラバーやシーボルト
の愛用品やキリシタン資料が常設展示しています。
 
坂本国際墓地
長崎に渡った外国人やその家族が眠っています。
地元の人でもよく知られていないようなスポットです。
 
長崎を第二の故郷とし、日本の近代化に大きな役割
を果たしたトーマス・ブレーク・グラバーが眠って
います。
 
墓石の前のお供え物はキリンビール。ビールを愛し
たグラバーにはお決まりですね。
2004年(平成16年)にはグラバー夫妻の墓碑が
長崎市の史跡に指定されました。
 
住所:長崎県長崎市目覚町26
TELL:095-822-8888
開放時間:8時00分~18時00分
定休日:なし
参拝料:無料

関連サイトhttp://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0203/index3.html

四海樓ーーGourmet

創業明治32年の長崎ちゃんぽん発祥のお店。
グラバー園や大浦天主堂に近くにあるので観光の後
のランチやディナーなど利便性に優れています。
「ちゃんぽん」は明治時代に長崎で生まれた食べ物
です。
 
四海楼の初代陣平順が長崎に来ていた中国人留学生
のためにうまくて、ボリュームがあり、栄養価が高
く安価なメニューを考案しました。
 
新鮮な魚介類をふんだんに使ったコクのあるスープ
は中国人だけでなく、日本人にも人気を呼びました。
 
さらに「皿うどん」も四海楼初代陣平順がちゃん
ぽんのバリエーションとしてちゃんぽん麺を強火
で焼いてたっぷりの野菜を炒めて創った料理です。
 
まず建物に驚かされます。大型のビルのような出で
立ちです。
1階はちゃんぽん、皿うどんをはじめ、長崎の名産品
が取り揃えられています。
 
5階の展望レストランの窓際の席からは夜景が望め
ますが人気のため、すぐに満席になります。
 
2階にはちゃんぽんミュージアムが併設されており
100年以上ちゃんぽんと歩んできた足跡と長崎
ちゃんぽんのルーツが展示されています。
 
3~5階はホールやお座敷、宴会場と言った広い
スペースで食事が楽しめる空間が広がっています。
ちゃんぽんの本家のため、収容力が高いにも関わ
らず連日行列ができることも多いそうです。
 
ちゃんぽん」¥1,080
次に料理の味に驚きます。
こんなに魚介出汁が効いたクリーミーで優しい
スープは初めてです。モッチモチな麺とたっぷり
の野菜が食欲を掻き立てます。
 
皿うどんや他の料理も食べたいのなら
2人以上で訪れてシェアすることをオススメします。
ラーメンばっかり食べてきましたが、ちゃんぽんの
奥深さに惹かれ鞍替えしそうになりましたーー
 
ちなみにチェーン店の”リンガーハット”は
長崎居留地に住んでいたリンガーさんをイメージ
キャラとして採用されています。
 
TELL:095-822-1296
営業時間:11時30分~15時00分
     17時30分~21時00分
     (L.O20時00分)
休業日:不定休
駐車場:有(敷地内コインパーキング)

関連サイトhttp://shikairou.com/

 
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
我が国鉄道発祥の地
日本初の鉄道開業は1872(明治5)年9月12日
鉄道が開業した区間は東京・新橋(現在の汐留付近)
から横浜(現在の桜木町駅)まで。
10月14日が「鉄道の日」というのは鉄道好きには
常識ですね。
 
しかし、我が国鉄道発祥の地はここーー長崎にあり
ます。
 
1865年(慶応元年)英国人貿易商トーマス・グラバー
が長崎県長崎市新地町6丁目、長崎市立市民病院付近
から松ヶ枝橋方向にレールを敷き、デモンスト
レーションとして英国製の蒸気機関車アイアン
・デューク号の試乗運転を行いました。
 
わが国ボウリング発祥の地
四海樓正面近くにあるステンドグラスでピンを
描いた記念碑があります。
日本最古のボウリング場は1861年(文久元年)
6月22日の日付でボウリング・サロン開店の広告
が掲載されました。
 
これにより、6月22日がボウリングの日として広ま
りました。
 
長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館
1896年(明治29)に香港上海銀行長崎支店の新社屋
として建築家ーー下田菊太郎が設計した唯一現存
する建物です。国指定重要文化財
 
長崎支店が閉鎖された後は警察署や資料館などに
利用されました。その後、建物の保存修理を行い
記念館として開館。
 
長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアムが
併設し、リニューアルオープンしました。

総括ーーSummary

日本の近代化に貢献したトーマス グラバー
亀山社中を設立した坂本竜馬
三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎 
 
海外との交易のパイオニアである3人が出会った
この頃より日本のビジネスの海外進出がはじまり
ました。
 
ここ長崎に日本のCOMPANYの源流を見ました。
太宰府天満宮にある麒麟像を気に入ったグラバー
は譲ってほしいと願い出るが、ついぞ手に入れる
ことは叶いませんでした。
 
また、お馴染みのキリンビールのロゴは太宰府天満
宮にある麒麟像をモチーフにした説と旧グラバー邸
の温室にある狛犬がモチーフになっているという説
があります。
 
麒麟の口ひげはグラバーさんの口ひげをもとにした
と言われています。
さらに坂本龍馬を指しているというという説が
まことしやかにささやかれています。
 
(次回)ーー死ぬ前にみたい夜景
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