【幕末維新記念館】in佐賀2ーー先憂後楽を実現するために世界を見ていた佐賀の七賢人ー前編

佐賀ーーSaga
佐賀ーーその時、佐賀は世界を見ていた Saga
由緒正しい神社で佐賀藩、鍋島家の祖先を祀った
佐賀県を代表する神社。
 
鍋島直正公は藩財政の改革、長崎警備に鋳砲建艦を
取り入れ海軍の基礎をつくった「佐賀七賢人」筆頭です。
 
◆Pick up◆

佐嘉神社

創建:1933年(昭和8)
社格:別格官幣社・別表神社
御祭神:佐賀藩10代藩主鍋島直正
       11代藩主鍋島直大  

◯昭和36年に松原神社と合併

◯2004年(平成16)福岡市有形文化財に指定
 
日本で最初に鋳造された150ポンドカノン砲
のレプリカが奉納されています。
 
鉄製の洋式大砲を鋳造するため、10代藩主鍋島直正
の命により1850年に日本初の反射炉が完成。
翌年には鋼鉄製の大砲が造られました。
ーー現在は築地反射炉跡となっていて面影は残って
  いません
 
松根社
二番社。直正公に仕えた古川松根命が学問の神様
として祀られています。
 
松原神社
鍋島家の藩祖、鍋島直茂を祀る神社として
創建されました。武勇に優れていたことから
開運・勝利の御利益があります。
 
敷地内には全部で8つの神社があり御朱印も8つ
八社詣巡り」をすると大願が叶えるといわれて
います。訪れたときには気付かず、スルーして
しまいました(汗)
 
住所:佐賀県佐賀市松原2-10-43
TELL:0952-24-9195
拝観時間:年中無休
拝観料:無料

関連サイトhttp://www.sagajinjya.jp/

鶴乃堂まんじゅう店

健康に良いアルカリイオン水を使っている
佐嘉神社の隣にある饅頭屋の肉まんです。
全国菓子大博覧会金賞受賞しました。
 
DSC00305.JPG
肉まんじゅう」¥150
肉まんではなく、この店では肉まんじゅうという
らしいです。もっちもちでフワッとした生地に
たっぷりの肉が詰まっています。
 
饅頭屋なので甘酒まんじゅう、玉子まんじゅうなど
他にもおいしそうなラインナップが目白押しです。
レトロな雰囲気で食べる手間ひまかけた
肉まんは極上の一言です。
 
寄り道ーーYORIMICHI
A little detour
微古館
鍋島家12代当主 直映公(なおみつ)により1927年
(昭和2)に創設。当初は肥前の県立博物館的な
役割でした。
 
平成9年に国登録有形文化財となり、現在では鍋島家
伝来の歴史資料・美術工芸品を展示公開しています。
 
鉄筋コンクリート造、建築面積約206㎡と洋風建築
で左右対称を基調とし、曲線的な外観が特徴です。

バルーンミュージアムーーMuseum

佐賀市は知る人ぞ知る「熱気球の街」として毎年
大空を無数のバルーンで彩り、それを見上げる観客
で賑わいます。
 
バルーンミュージアムは天気に左右されずに
バルーンを体感できる日本初のバルーンミュージアム
です。建物はシンプルなので看板に気づかずに
通り過ぎてしまいそうです。
 
入口から実物大のバルーン発見。
大きすぎて3階まで吹き抜けになっているので
その全体像を明らかにするには3階まで行く必要があります。
 
2階に上がると日本で初めて有人飛行に成功した
イカロス5号(ゴンドラ)京都の大学生を中心とした
グループが設計から製作まで試行錯誤しながら
北海道の羊蹄山付近で初フライトを達成した際の貴重な資料です。
 

Column

バルーンの歴史
「鳥のように大空を飛びたい」
そんな人類の夢を叶えたのがバルーン(熱気球)
18世紀ヨーロッパで誕生。モンゴルフィエ兄弟
が人類初の有人飛行に成功(パリ上空約8~9㎞を25分間飛行)
ーー16世紀初頭、レオナルド・ダヴィンチも
  飛行装置を考案したが実現せず
         ⇩
19世紀後半、飛行船や飛行機が登場。
1903年アメリカのライト兄弟が飛行機による
世界初の有人飛行に成功。
         ⇩
1959年、アメリカでエド・ヨーストらとNASA
などが共同し、近代的な熱気球が生み出される
(約2,830mの上空を飛ぶ)
         ⇩
1969年、日本人初の熱気球イカロス5号の有人
飛行に成功。
日本の熱気球の歴史が始まるーー
1973年気球愛好家により、日本気球連盟設立
1974年第1回熱気球フェスティバルが北海道上士幌町で開催  

21世紀ーー空の旅は宇宙まで広がる。
1980年福岡県甘木市で行われていたフェスタ
会場を佐賀に移して「1980 バルーン・フェスタ・イン九州」が開催。
ーーそしてバルーンはスカイスポーツとして世界各国で楽しまれる。

 
クイズラリーやパネルなどで
気球の形や仕組みなどが体感ゲーム形式で
楽しく学べます。
 
空気量やガス量を調整してミニチュアのバルーン
を浮かばせるゲームはバランス調整が難しくない
ため子供でも簡単に遊べます。
 
中でも一番おもしろかったのが”バルーンパイロット”
バスケット(ゴンドラ)に乗って実際の空の旅さながら
の迫力ある映像を前に決められた場所に着陸するという内容です。
 
操作は難しく、何回でも挑戦したくなる楽しさが
ありますが、人気のアトラクションなので一人
一回までの挑戦にしておきましょう。
 
熱気球の肝であるバーナーのカラクリは単純な
ようで奥が深く、素材、装備品などじっくりと
観察して今まで触れることのなかったバルーン
についてじっくり考えることができました。
 
住所:佐賀県佐賀市松原2丁目2−27
TELL:0952-40-7114
開館時間:10時00分~17時00分
休館日:月曜日、年末年始
入館料:大人¥500 小中高生¥200 

関連サイトhttps://www.sagabai.com/balloon-museum/main/

 
戦利品ーーSENRIHIN
Booty
バルーンに関するお土産が数多く取り揃えられて
います。2017年ではなく現在の年号が欲しかった
のですが最新が2017だったので購入。
 
DSC00368.JPG
エイリアンエナジー
干潟に潜む見た目エイリアンなワラスボのエキス
が入ったドリンクです。
 
怪しげな見た目とは裏腹にスッキリとして飲み
やすいです。
 
DSC00371.JPG
マンホールのデザインもワラスボ。
日本で唯一有明海にしか生息していません。
イラストにすると可愛いものです。

幕末維新記念館ーーMuseum

さて、山口は萩でも言っていましたが
維新150周年を記念して佐賀市では幕末維新博覧会
が開催されていました。
 
「佐賀が~」なんて声が上がりそうですが
開けてびっくり!博覧会を通じて認識が180度
変わってしまいました。
 
それでは早速行ってみましょう。
3施設合同料金もあるのですが、この時の私はメイン
パビリオンだけ行けば十分だろうとタカを括って
いました。
ーー時間もなかったしね
 
入場料を払うとパンフレットと同時にシールが貰
えました。入館すると上映時間の都合でホールで
待ちます。
 
一定数の人数が集まると順番に部屋に入って
いきます。
スクリーンいっぱいに佐賀藩がどういった経緯で
欧米列強に対抗するかの苦悩から始まります。
 
鎖国から開国へと国勢が大きく動く時、佐賀は国内
だけではなく世界へ目を向けていました。
 
次の部屋では黒子が裏で動きながら映像とのコラボ
で臨場感あふれるパフォーマンスで佐賀藩が造った
反射炉を始めとした最先端技術の確立を紹介して
くれます。
ーー黒子の演技には目を見張るとこがあります
 
幕末から明治維新にかけて活躍した佐賀藩出身の
七人を称して「佐賀の七賢人」と呼びます。
 
鍋島直正、島義勇、佐野常民、副島種臣、大木
喬任、江藤新平、大隈重信。
ーー現在、佐賀市では七賢人に枝吉神陽、徐福
  成富茂安、売茶翁、相良知安を加えた
 「佐賀の十二賢人」を顕彰しています
 
文字だけでなく映像や音声で紹介してくれるので
こんな凄い人物がいたんだなーとすんなり頭に入ります。
 
鍋島 直正(なべしまなおまさ)

佐賀藩10代藩主。1814年(文化11)に鍋島斉直
の子として江戸に生まれる。17歳で襲封し
その後激動の30年間藩主の座にて藩財政
を立て直したほか、産業を振興、藩校弘道館の
設立、西洋の科学技術や医学を積極的に導入し
藩政改革を次々と行う。
ーー幾多の改革を先駆けて実践した幕末の名君
 
幕府の長崎警備を重視し、西洋列強のアジア進
出の動向把握国際情報の収集と分析、国土防衛
の必要性を感じ、日本で初めての洋式反射炉を
築造した。さらに独自に研究を重ね
鉄製大砲や蒸気船の築造を成功させた
 
明治維新の立役者として薩長土肥が広く周知
されているが佐賀藩は藩内抗争で血が流れる
ことなく、統制力・技術力において他藩から
頭抜きんでる実力を蓄えていた。
藩校で優秀な人材を抜擢し、後に佐賀藩、明治
政府で活躍する人材を育て上げる
公が好んだ古典の言葉「先憂後楽」通りの実践というべきーー
 
明治維新後は議定に就任し大納言の位
を受ける。
1869年(明治2)に北海道開拓使長官となるが任
に就くことなく1871年に藩邸にて亡くなる。
 
先憂後楽(せんゆうこうらく)
”国を思う者は人に先立って天下のことを憂えて
安楽を後に得る”

佐野 常民(さのつねたみ)

1822年(文政5)に佐賀市川副町早津江に生まれ
る。9歳の時藩医佐野家の養子となり藩校弘道
館で学才を発揮。その後大坂や江戸で緒方洪庵
伊東玄朴らの門弟となって蘭学、医学などの
学識を広める。
 
31歳のときに最先端の科学の研究や実験を行う
佐賀藩の精錬方の主任を務める、蒸気船・蒸気
車の雛形、電信機の製作に成功。
ーー技術のプロフェッショナル
 
明治維新後、海軍創建に力を尽くし、大蔵卿や
元老院議官を務める。
 
西欧の先進的な知識・技術を取り込む各国に
赤十字社が組織されていることを知り西南戦争
時に敵味方区別なく救護する博愛社(のちの
日本赤十字)をつくり、負傷者の救護活動を行う。
ーー日本赤十字の生みの親

島 義勇(しま よしたけ)

1822年(文政5)に佐賀市に生まれる。
9歳で弘道館に学ぶ、優秀なため、25歳で卒業
するところ、23歳の若さで飛び級して卒業。
ーー佐賀が生んだ秀才
 
藩主直政の命により、1856~1857年の間
蝦夷・樺太(サハリン)を探検し調査を行う
1869年(明治2)北海道開拓主席判官
として札幌市街の建設など北海道開拓に貢献
ーー北の大都市、札幌の礎を築いた北海道開拓
  の父
 
しかし、妨害、対立により都市計画がうまく進
まず罷免。
侍従、秋田県権令などを務めるが
1874年(明治)佐賀の乱(佐賀戦争)で政府と
戦い、敗れ刑死。

副島 種臣(そえじま たねおみ)

1828年(文政11)に佐賀市に生まれる。
外務卿として、対中国外交やマリア・ルス号
事件の解決にあたり、外交官として高い評価を受ける。
 
1874年(明治7)民選議院設立建白書を板垣
江藤らとともに政府に提出。
のちに学識を認められ、天皇の侍講をつとめる。
 
西郷隆盛と馬が合い、後を託されたという説もある。
1905年(明治38)死去。
ーー「副島外交」と内外に知られた外務卿
 
七賢人紹介の続きは後編でーー
最後に案内されるこの場所では”ことのは”に佐賀
への想い、未来の種を蒔こうというスローガン
のもと、将来のことなどを自由に書いて飾る
ことができます。
 
小島よしおやワンピースの作者、尾田栄一郎など
数々の著名人が書いています。
 
開催終了時にタイムカプセルに入れるので
へたなことは書けませんねーー
 
住所:佐賀県佐賀市城内1-1-59
TELL:0952-25-7253
開館時間:9時30分~18時00分
入館料:¥800 3施設共通¥1200

関連サイトhttp://www.saga-hizen150.com/

総括ーーSummary

明治維新を成し遂げたのは薩長、そして土佐が中心
となり幕府軍と戦ったと歴史の授業で習ったと思い
ますが最後の鍵を握ったのが”肥前藩”=”佐賀藩
です。
 
維新150年を記念して佐賀県内の至るところで
維新に関するイベントが期間限定で行われて
います。
 
戊辰戦争で活躍したアームストロング砲を鋳造
したことで知られる佐賀藩の反射炉の遺構が残って
いれば間違いなく産業革命遺産に認定されていた
と言われています。
 
萩反射炉のような失敗作ではなく、実用的な
国内初の反射炉。後世に残っていたら
静岡県の韮山反射炉よりも歴史のある反射炉として
今よりも佐賀に注目が集まっていたことでしょう。
 
佐賀のことを何一つ知らなかった私には衝撃的で
歴史好きなんて周りに言ってたこと恥ずかしく
なったほどです。
 
それと同時に佐賀の素晴らしさを広めたく思い
会う人会う人に教えていきたいです。
 
(次回)ーー佐賀の乱で激戦地だった佐賀城の現在の姿
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